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2011 レーマー・ロベルタ・ボウェイ講演を読む(1) [民間人]


 エレン・ジョンソン・サーリーフ女史に続いて、レーマー・ロベルタ・ボウェイ女史の講演です。
 
 Gbowee というのはどのように発音するのか? 
 当初、「ゴヴォウェ」としようかと思っていたのですが、最初のGは発音しないようですね。
 
日本の大手マスゴミでは「リーマ・ボウイー」とされていますね。
 
ですので、ここでは レーマー・ロベルタ・ボウェイ 女史ということにしましょう。できれば最初のGも、ちょっと飲み込んだ感じで発音すると良いかもしれません。ボウェイ女史、とするのが最適なんでしょう。
 
さて、彼女は、前回までのサーリーフ大統領のいわば右腕です。リベリアで起こった女性解放運動(?)の指導者です。
 
ボウェイ女史がここで述べられているように、リベリアを含めて、アフリカで行われている内戦は、我々の想像をはるかに超えた「ろくでなしの所業」であるようです。
 
このシリーズでも繰り返し述べられてきましたが、 そもそも「戦争」というものは国家間の武力紛争であって、「軍人」同士が戦って決着をつける、というのがせめてもの「まっとうな戦争」であり、民間人はその対象ではない、ということのはずでした。
 
ところが、例えば一昨年米軍ヘリがイラクで一般市民とジャーナリストを銃撃した映像などに見られるように、近年の「戦争」というのは、誰彼なく、年寄り、子供、女、オカマ、オナ、ホモ、レズ、エタ、非人、とにかく見境なく犠牲にする、そしてそれは戦闘行為の中でのちょっとしたミスで済まされ責任は問われることがない、という実に困った代物となっているわけです。
そして、ハーバードとかいう大学のサンデルというアホな教授は、「戦闘行為の中で民間人を殺すことは正義か?」などという問いを若者に投げかけるわけです。そしてまた、それに真剣に答える若者もいるというのだから、これは御釈迦様もさぞかしお嘆きになることでしょう。キリストはどうか知りませんが。 
 
 
第二次大戦後の日本の極東裁判では、戦闘中の非人道的行為は厳しく追及されました。しかし今は、戦闘行為が終わればそれでよし、むしろ死人に口無しという事で、戦闘中の非人道的行為を隠蔽するために容赦なく殺して回る、ということが平然と行われているようです。
 
 つまるところ、現代の「戦争」というのは、戦争の名を借りた一部のろくでなし共の集団暴行、集団殺戮に過ぎないということがはっきりしてきた、と言えるでしょう。ターゲットは民間人、とくに女と子供。 そしてそれを主導しているのが、国家のリーダーと呼ばれる、どうしようもない連中であるということでもあります。
 
 そして、はこのろくでなし共の殺戮行為を止めるために立ち上がったのが、ボウェイ女史とそのお仲間の女性達であったというわけです。
 
 彼女達は「信念と10US$」を武器として、政府軍と反政府軍に立ち向かった、というのですから、泣ける話です。
 
 まあ、そういうわけで、引き続き彼女のお話を読み進めてゆきますが、世界で、特にアフリカで未だに続く内戦、最近はシリアの内戦も話題になっていますが、どこでもやっていることは似通っているようです。
 本来人々を守る立場にある人間が、人々を塗炭の苦しみにさらす。このことを糾弾する術を、我々は何故持っていないのでしょうか?
 
(続く) 
 
 
 国王陛下、閣下、各国大使、
ノルウェーノーベル賞委員会メンバー、各国指導者、
リベリア女性、アフリカ女性、そして世界の女性達へ

神は、私に今日という日を与えてくれました。そして、私と世界中の私の姉妹達は歓喜と喜びの中にいます。
今日という日は、私と、その妹タワクル、そして私たちの大統領であり母でもあるエレン・ジョンソン・サーリーフを世界の全ての女性の代表としてノーベル平和賞を与えたということで、その歴史の中でも特筆されるべき日となるでしょう。

私は委員会メンバーから推挙されたことに戸惑いと栄誉を感じました。私は世界中で平和と平等と正義を求めて仕事を続ける女性達の名のもとにこの賞を受けます。

ここで、ワンガリマータイ教授と、先の選挙での暴動で命を落とした、デカ・アブジ、マ・ウェルチ・フリーマン、マ・アサタ・カンダカイ、マ・ファツ・バ、レベッカ・フロモ、マクルナブラウンという7人のコートジボワールの女性、そして世界中で平和と社会正義と平等のために戦い、命を失った女性達のために黙とうを捧げたいと思います。
 
アーメン

2003年の初頭、私たち7人は間に合わせの会議室に集まり、リベリアの内戦と首都モンロビアの目前に迫っている戦火について話し合いを行いました。
信念と、たったの10米ドルを武器として、リベリア女性の大規模な平和運動は生まれたのです。

女達は、薬漬けになった若い兵士達の「戦争のおもちゃ」にされていました。婦女暴行と略奪は女を見逃しませんでした。年齢も宗教も地位もなく、私たちは強姦され暴行されたのです。日々見かける光景というのは、ある母親が目の前で息子を強制的に徴兵されること、そして娘を連れ去られ薬でイカれた兵士の相手にされてしまうことでした。

私たちは、私たちの痛みで、壊された体で、傷つけられた感情で、私たちの国で行われている不正義とテロに立ち向かったのです。私たちは、戦争を終結させるただ一つの道は、非暴力を通じてより他にないことを知っていました。暴力を使えば、私たちとその愛する国は、苦痛と死と破壊の奈落に陥るということを、目の当たりにしてきたからです。

しかし、この戦火にあったリベリアの時代は、ノーベル平和賞を受賞した故マーティン・ルーサー・キングの言葉を再認識させてもくれました。彼はこう言いました「暴力は永続的な平和をもたらさない。なんらの社会的問題も解決しない。暴力はただ、新しくより混乱した問題を作りだすだけだ。」

女性の大規模活動はひとつのコミュニティで始まり、リベリアの50のコミュニティへと広がりました。

私たちは日々、軍の司令官達と向き合いました、将軍達と面談してAK47やPRGマシンガンで黙らせられました。車のないときは歩き、水のないときは食べず、危険と向き合うときは手を取り合い、権力者にうまい説明のできないときには真実を話し、子供たちと雨や日照りの中に立ち、紛争の裏側で起きている真実を世界に伝えたのです。
私たちには、教育だとか、旅行の経験だとか、信用だとか、社会的地位だとか、そんなものは何の問題でもありませんでした。たった一つのアジェンダしかありませんでした。

今こそリベリアに平和を!

 
Your Majesties, Your Royal Highnesses, Excellencies
Distinguished Members of the Norwegian Nobel Committee, Global Leaders
Women of Liberia, Women of Africa and Women of the world
 
This is the day the Lord has made and I and my sisters globally will rejoice and be glad in it.
Today marks a very historic day as the Nobel Peace Prize is being awarded to me, my syster Tawakul, and my own President and Mother, Mrs.(madam ) Ellen Johnson-Sirleaf in honor of all women globally.
 
I am humbled and honored to have been selected by members of the committee and I receive the Prize in the name of women who continue to work for peace, equality and justice across the World. I ask me A moment of silence for Prof Wangari Maathai, Ms. Dheka Abdi, Ma Wleti Freeman, Ma Asata Kandakai, Ma Fatu Bah, Rebecca Flomo, Ma Klunah Brown, the seven Ivorian Women who lost their lives during the post elections violence and women across the world who lost their lives while fighting for peace, social justice and equality.
 
Amen
 
Early 2003, seven of us women gathered in a makeshift office / conference room to discuss the Liberian civil war and the fast approaching war on the capital Monrovia. Armed with nothing but our conviction and $10 United States dollars, the Women of Liberia Mass Action for Peace Campaign was born.
 
Women had become the  "toy of war" for over-drugged young militias. Sexual abuse and exploitation spared no woman; we were raped and abused regardless of our age, religious or social status. A common scene daily was a mother watching her young one being forcibly recruited or her daughter being taken away as the wife of another drug emboldened fighter.
 
We used our pains, broken bodies and scarred emotions to confront the injustices and terror of our nation. We were aware that the end of the war will only come through non–violence, as we had all seen that the use of violence was taking us and our beloved country deeper into the abyss of pains, death, and destruction.
 
The situation in Liberia in those war years indeed re-affirmed the profound statement of Nobel Laureate, the late Dr. Martin Luther King when he said, "Violence never brings permanent peace. It solves no social problem; it merely creates new and more complicated ones". on court
The women's Mass Action Campaign started in one community and spread to over 50 communities across Liberia.
 
We worked daily confronting warlords, meeting with dictators and refusing to be silenced in the face of AK 47 and RPGs. We walked when we had no transportation, we fasted when water was unaffordable, we held hands in the face of danger, we spoke truth to power when everyone else was being diplomatic, we stood under the rain and the sun with our children to tell the world the stories of the other side of the conflict. Our educational backgrounds, travel experiences, faiths, and social classes did not matter. We had one common agenda: Peace for Liberia Now.
 
 
 
 


2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(5) [指導者]


 さて、いよいよお話が佳境に入るか・・・
 
とおもったらば、なんちゅうことか、終わってしまいましたね・・・・
 
なんといいますか・・・・
 
リベリアの大統領選挙では、かなり激しい応酬があったようですが、もう少しディテールを知りたいと・・
 
それに、国連人権宣言を引用されていますが、これもいかがなものかと・・・ 
 
 まあ、これらは立場上これ以上踏み込めないというお話なんでしょうね。
 
何せ国家元首でありますからね。ノーベル平和賞の場で、政敵を批判するのは反則でしょうし、あるいは「宣言」や「決議」をするだけで、実質的に無能力な国連ではありますが、これを表だって批判するわけにもいかないのでしょう。
 
それに、リベリア、まだまだ援助が必要でしょうしね。アメリカさんには嫌われたくないですものね。 
 
いわば、このあたりが、民間人と政治家との差ということでありましょう。 
 
でも頑張ってください、大統領閣下!  
 
というわけで、あっさりサーリーフ女史の講演は終わってしまいました。
 
そして、我々下世話な庶民の聞きたい次元の低いお話は、どうやら彼女の口から語られることはないのでしょう、当分の間は。
 
でも、どうやら続く、シスター・ゴヴォウェーさんのお話のほうが面白そうですので、そちらに期待することにいたしましょう。
 
 
(1/3了)
 
 
=======エレン・ジョンソン・サーリーフ講演(5)======== 
 
閣下、各国大使の皆さん、兄弟姉妹たち、私はこの場から、リベリアとリベリア国民に言いたい。

11月8日、私たちはリベリアを安定で民主的な国家へと統合的に変革するための、二度目の、自由で公平な大統領選挙を終えることができました。リベリア国民はこの私に、次の6年間大統領の任につけるという大いなる栄誉を与え、私たちが2006年から進めている基盤の建設を認めたのです。
何名もの候補者の間で行われた選挙戦は激しいものでした。その過程は挑発的なものでもあり、個別のそして集団での事件、それは平和的ではなく、国として認められないものでもありました。だから私は、今日この場所で、傷と失われた命への悲しみを心に抱きつつ、ついこの間のこの経験が、私たちの国家をより強くしてくれることを望むのです。

リベリアの絶え間ない発展は、合法的ルールにもとづく、人および民主化組織への投資、という政策およびプログラムによって進められてきました。最も大事なことは、彼らが歴史の試練に耐えなければならないことです。彼らは、誰か一人のリーダーあるいは一つの政党に頼ってはならないのです。私たちは、反対者の声にも敬意と地位を与えねばなりません。彼らは、私たちの開かれた社会においては敗北者ではなく、むしろ政府がより強い責務を持つための重要な要素なのです

私たちは、その政治活動を通じて、若い世代の人々が、かれらの我慢の限界を超えた生活を、改善するよう求め、泣き叫ぶ声を聞きました。紛争と略奪の数年間で失われた時間と機会を、取り戻したいというのです。よりよい教育、役に立つスキル、そして仕事を望んだのです。彼らの国を再建することの役に立ちたいと望んだのです。彼らは彼らの声を見つけ、そして私たちはその声を聞いたのです。

世界中のいわゆる民主化を進めている国々では、とくにアフリカと中東の国々では、人権と社会正義を求める戦いというものが、実に困難な旅路であることを思い知らされています。そのためには、私たちの声が、非常に多くの声が必要なのです。私たちの犠牲を分かち合う事が、私たちの求める正義を実現するための原動力となるのです。

各国大使、紳士淑女のみなさん

いまからおよそ63年前、国連総会において世界人権宣言が採択されました。
この文書は、凄惨な世界大戦という恐怖の中から生まれた、時代の遺産であり、今日のわれわれにとって非常に重大なものを含んでいます。

それは世界共通の宣言です。それは、人間の権利は、ただ人間として生まれたことだけで得られる、と説きます。これらの権利は、政府によって与えられるものではないし、また政府の判断によって奪われるものでもないと。
それは法的な宣言であって、好意的な熱望の羅列ではありません。
それは、国家がその市民をどう扱おうとも、彼らがその所有するあらゆる権利と自由を見守り支持することのために、その国家に制限を与えるのです。

今日、三人の女性に世界でも最高の平和賞が贈られるという、この特別な日は、決して過ぎゆく歴史の一幕ではありません。この出来事は、本物で永続的な平和というものを求めて、私たちが続ける終わりない行進のマイルストーンであると見なければなりません。

最後に、この偉大な栄誉を与えてくださったノルウェーノーベル委員会への感謝を繰り返させていただきます。そして、平和と人間の尊厳への貢献を仕事とし、今日ここにお集まりいただいた方々への心から感謝を表し、終わりとさせていただきます。

ありがとう、そして神の御加護のあらんことを。
 
 
 Your Excellencies, brothers and sisters:
 
From this global platform, I want to speak for a moment of Liberia and to Liberians.
On November 8th, we concluded our second successive free and fair presidential and legislative elections, consolidating Liberia’s transformation into a stable democratic nation. The Liberian people did me the great honor of re-electing me as their President to serve for another six-year term, allowing me to build on the foundations we started in 2006.
 
The electoral battle was hard-fought among several contenders, requiring a run-off contest. The process was not without its challenges, and a single and regrettable incident marred an otherwise peaceful and celebrated national achievement. As I stand here today, with sadness in my heart for the injured and the life lost, I truly hope that our nation will become stronger from our recent experience.
 
Liberia’s continued progress depends on policies and programs that invest in people and strengthen democratic institutions, while remaining grounded in the rule of law. Most importantly, they must stand the test of time. They must not be dependent on any one leader or any one political party. We must build space and respect for opposition voices; they are not the losers in our open society, but an essential component to strengthened accountability in government.
 
Throughout our political campaign, we heard the cry of our young population that they are impatient for their lives to improve. They want to make up for the time and opportunities lost during years of conflict and deprivation. They want better education, useful skills and jobs. They want to contribute to the rebuilding of their country. They have found their voices, and we have heard them.
 
As nations around the world, particularly in Africa and the Middle East, transition to representative democracy, we are reminded that the struggle for human rights and social justice is a difficult journey. It requires our voices, many voices. Our shared sacrifices are essential to achieve the justice that we seek.
 
Your Excellencies, Ladies and Gentlemen:
 
It was exactly 63 years ago today that the United Nations General Assembly adopted the Universal Declaration of Human Rights. That document, the legacy of a generation that had just emerged from the horrors of a devastating World War, remains of great significance to us today.
It is a Declaration that is universal. It speaks of rights that all humans have simply by virtue of being human. These rights are not given to us by governments, which might revoke them at their pleasure. 
 
It is a Declaration that is legal, not a list of benevolent aspirations. It obligates States, even in their treatment of their own citizens, to observe, and to uphold, those universal rights and freedoms that belong to us all.
 
Today’s decoration of three women with the highest universal Peace Prize must not be a passing historic moment. We must look upon this event as a milestone in the inexorable march toward the achievement of a genuine and lasting peace.
 
Let me close by reiterating my deepest gratitude to the Norwegian Nobel Committee for this great honor, and I express my profound thanks to all of you gathered here for your work in the service of peace and human dignity.
 
Thank you. And may God bless you.
 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(4) [指導者]

 
 皇帝と王様はどちらが上か?というとこれはどうやら皇帝様のほうが圧倒的に上、ということのようです。
 
歴史上の「皇帝」というと、
 
中国なら秦の始皇帝の秦から始まって清のラストエンペラー溥儀まで。
ヨーロッパならシーザーのローマ帝国―東ローマ帝国―神聖ローマ帝国となって、最後はハプスブルグ家で終わる。
ちょっとラインが異なってフランスでナポレオンが皇帝となり、その後失脚―後にナポレオン三世(これは怪しいけど)で終わる
 
後は南米のマヤ・アステカ・インカ・・・なんかも皇帝が存在したっぽいですが、これは王様のレベルかな??でスペイン人に滅亡させられてしまう。
 
そうして、あとは日本の天皇、となりましょうか。
 
つまりは「帝国」とよ呼ばれる超大国の国家元首で、世襲制の人を皇帝というわけですから、王侯諸貴族などは足元にひれ伏すのみ・・
 
というわけで、よくよく考えるとみると、わが日本の天皇は、いまや地上に残る最後の皇帝と言えるのではないか?? 
 
一般的な認識としては、他国との儀礼的意味合いから王様と同格、なんでしょうけど。  
 
北朝鮮なんかも、世襲制であることと、横暴さと傲慢さと愚鈍さが突出していることなどからチャンピオン級の皇帝と言えそうです。でも聞くところによると、北朝鮮の経済規模は沖縄県と同等、ということなので、とてもとても帝国とは言えません・・・・
 
ということで The last Emperor (symbolic) は日本の天皇ということで決まり? 
 
否、大英帝国の末裔がいましたっけ・・・
皇女とは自称してないし、家庭問題がありますけど・・・ 
 
 
さて本題に戻りまして、 サーリーフ女史の講演も徐々に熱を帯びてきました。
 
ジェンダーというのも一時期流行りましたけど、未発達な国や社会において女性の地位といものは低く抑えられている、というのは往往しばし見られることです。 
 
でも考えてみると、未発達な社会というのは、いったい何が未発達なんだろうか?
 
もちろん経済というのはその代表なんですが、今の時代、国のインフラ整備などにまとまった資本を投入することができれば、相当な勢いでの近代化・発達は見込めるわけです。
タイ・ベトナムなんかは好例でしょうか。 
 
つまり現代においては、適切な投資とテクノロジーを投入すれば、低開発国を国家レベルで改善できて、1等国とは行かないまでも2等国・3等国までに仕立て上げることは、それほど難しくない。のかもしれません
 
このような楽観的シナリオで考えると、女性の地位向上という問題が、低開発国ゆえに存在するということはおかしな話しです。 
 
まあそのようなことを考えつつ、さらに読み進めて行くことにしませう・・・
 
続く 
  
 
========エレン・ジョンソン・サーリーフ講演======== 

この21世紀、年間で百万人もの人間、そのほとんどが女や子供ですよ、を商取引するような国があってはなりません。女や子供が暴力をふるわれたり暴行を受けたりするような国があってはなりません。リーダーシップが男性にだけ備わっている、なんてことを信じている国があってはならないのです。

しかし、希望と楽観の芽はあります。進歩と変化の兆しが見えるのです。世界中で、ゆるやかにではありますが、国際法と人権に対する敬意が、学校や裁判所そして市場における暗闇の一角を照らし始めているのです。男や女が言葉にできないほどの暴行を受けていた密室の窓が開き始め、そして光が射し始めたのです。一時的なものとはいえ、未熟な自由と言う大地に民主主義が根を張り始めたのです。

幕が開けるように、暗闇に日が射し込むように、いままで見えなかったものが見え始めました。テクノロジーが私たちの世界を、一つの繋がりあった隣人へと変えたのです。一つの場所での出来事をすべての街角で見ることができるようになり、そして平和と民主主義、それに伴のう社会正義と公平さを、全ての人々に広めるまたとない機会がやってきたのです。

今、この地球上で日々を生きる女達は、そして男達は声を発する勇気を持ち始めました。数千もの言語で、大きく、強く、「もうたくさんだ」と。
彼らは、心ない暴力を排除し、民主主義の、開かれた社会の、自由の、そして平和の根幹を守っているのです。

だから私は、妹達や弟達に発破をかけています。恐れるな。少数派であっても不正義を非難することを恐れるな。声が小さくとも平和を探し求めること恐れるな。平和を要求することを恐れるな。

もし私が全世界の少女達と女達に語りかけるとしたなら、私はこの簡単な言葉を伝えたいのです。妹達よ、娘達たちよ、友よ、自分の声をみつけなさいと。

私たちはそれぞれ自分の声を持っています。そして、喜ぶべきはそれぞれが異なった声を持っていることです。私たちのゴールは調和の中にあります。それは平和の希求であり正義の追求です。それは人々の権利を守る砦なのです。

私たちの国リベリアそしてイエメンその他の国で、政治的騒乱が収まったことは、新たに与えられた自由が人々に新たな好機を与えるのであれば、意義のあることでありましょう。私たちは、変化への渇望から生まれたこの新たな秩序が、ともすれば過去の無法な道へといとも簡単に陥ってしまうことを危惧しています。
私たちの声を聞いてもらわねばなりません。声を見つけ出しましょう。声をあげましょう。あなたの声を平和のための声にしましょう!
 
 進む道に失敗はあるでしょう、ですから一晩で世界が変わるわけではありません。でも私たちは、その人生の中で変化というものを見てきましたし、世界は私たち全てに及ぶような変化を続けています。
「倫理の世界の長い曲がり道は、それでも正義の方向へむかうのだ」という、ノーベル賞受賞者マーティン・ルーサー・キングJr.の碑に刻まれた言葉のように。

 
 As we celebrate today, we are mindful of the enormous challenges that we still face. In too many parts of the world, crimes against women are still under-reported, and the laws protecting women are under-enforced. In this 21st century, surely there is no place for human trafficking that victimizes almost a million people , mostly girls and women, each year. Surely there is no place for girls and women to be beaten and abused. Surely there is no place for a continuing belief that leadership qualities belong to only one gender.
 
Yet, there is occasion for optimism and hope. There are good signs of progress and change. Around the world, slowly, international law and an awareness of human rights are illuminating dark corners, in schools, in courts, in the marketplace. The windows of closed chambers where men and women have been unspeakably abused are being opened, and the light is coming in. Democracies, even if tentatively, are taking root in lands unaccustomed to freedom.
 
As curtains are raised and as the sun shines upon dark places, what was previously invisible comes into view. Technology has turned our world into one interconnected neighborhood. What happens in one place is seen in every corner, and there has been no better time for the spread of peace, democracy and their attending social justice and fairness for all.
 
Today, across the globe, women, and also men, from all walks of life are finding the courage to say, loudly and firmly, in a thousand languages, “No more.” They reject mindless violence, and defend the fundamental values of democracy, of an open society, of freedom, and of peace.
So I urge my sisters, and my brothers, not to be afraid. Be not afraid to denounce injustice, though you may be outnumbered. Be not afraid to seek peace, even if your voice may be small. Be not afraid to demand peace.
 
If I might thus speak to girls and women everywhere, I would issue them this simple invitation: My sisters, my daughters, my friends, find your voices!
Each of us has her own voice, and the differences among us are to be celebrated. But our goals are in harmony. They are the pursuit of peace, the pursuit of justice. They are the defense of rights to which all people are entitled.
 
The political struggles that our countries – Liberia, Yemen and others – have gone through will be meaningful only if the new-found freedom opens new opportunities for all. We are well aware that a new order, born of hunger for change, can easily fall back into the lawless ways of the past. We need our voices to be heard. Find your voice! And raise your voice! Let yours be a voice for freedom!

 There will be failures along the way, for the world will not change overnight. But we have seen change in our lifetimes, and the world will continue to change in ways that affect us all. As inscribed on the wall of the memorial to Nobel Laureate Martin Luther King, Jr., “The arc of the moral universe is long, but it bends toward justice.”
 
 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(3) [指導者]

 
さて、エレン・ジョンソン大統領講演の第三回です。
 
本稿の初めのほうで、なかなかノーベル委員会のHPでレクチャービデオが流されなかったので、なんでだろう??と思っていたのですが・・・
 
はは~ん。そういうことか・・・
 
と思わせるような一言が、ここの出だしに書かれていますね。

でもね、まさか、そんな理由でビデオを流さないなんて、あるはずもない。
ノーベル委員会がまさか女性に対してそのような差別的なことをするはずはない。
 
なにせ北欧ノルウェーといえば、先進国ですからね・・・
 と、でも待てよ。
 
ノルウェーは王様がいる国だったな。 
 
いまどき王様様がいる国なんて・・・
でもヨーロッパには結構たくさんありますね。
 
イギリス・オランダ・スペイン・ベルギー・・・
 
世界を見渡しても、UAEなんてのは王様の国の集まりのようなものだし、サウジアラビアもイエメンもそんなようなものか・・・
 
そして、名目上は「大統領」ですけど、その実態は王様だったりと、
王様と王族が支配する国家というのは、世界には案外多いようです。 

 

一方、わが日本はどういう国かというと、
王様どころか皇帝様のいる国でありましたね。これは、ちょっと凄いかも。
 
そも皇帝と王様はどっちが偉いのか??これはちょっと調べてみましょう。次回までに。
 
ともかく、何が言いたいかと言うと、
「日本も早めに皇室典範を書きなおして、女性天皇もアリ」ということにしないと、
エレン・ジョンソン大統領からきついお叱りをうけるのではないですか?
ということなのであります。
 
 
まあ、日本と言えば男性より女性のほうが強いのが一般的でありますから、
いまさら女帝までは必要ないかもしれませんが。 

 

ちょっと講演内容とずれましたので、少し本分の内容について。

  
ここで彼女の述べている事、つまり女性に対する残虐行為については、ワンガリ・マータイさんも若干述べられていました。
しかし、ケニヤとリベリアという、同じアフリカ大陸であっても、その程度の差は激しいようです。
 
アフリカと言うと、いまだ呪術と民俗信仰のイメージが強くて、どうやら我々はよく神秘という色眼鏡でアフリカを見すぎているようであります。 
  
それともう一つ、アフリカと言うと「内戦」のイメージが強いですね。 
 
以前、テレビ番組で日本人傭兵が「我々の職場は主にアフリカですよ。もうほとんどバブル状態ですから」 と言ってました。
 
アンゴラ・ルワンダ・ブルンジ・コンゴ・・・
 
そうそう、ICBLの ジョディ・ウイリアムさんもその様なことをおっしゃってましたね。
まあ、彼女には地雷撲滅に加えて内戦撲滅キャンペーンも主宰して欲しいものでありますが、それはあまりに難しすぎるのかな・・・・
 
そして内戦あるところ、すなわち弱者への虐待あり。 
 
つまり女性に対する残虐行為は、アフリカ独特の信仰や因習と、長年にわたって続く内戦とが相まって行われているようなイメージを抱くわけです。
 
しかし、このようなイメージを抱くだけでは本当の問題解決には至らないでしょう。
むしろイメージを語るだけではかえって問題解決からは遠ざかっていくことになります。 
 
本当にやるべきは、この正しい理由、原因と、その被害実態を明らかにすることでありましょう。 
 
利口そうな振りをして言ってみると、
 
内戦を主導しているのは世界中の「死の商人」たちである。そして、内戦をさらに激化させる、あるいは和平を阻害するために、その手下共は影に隠れて弱い人々に暴行を加え、売り飛ばし、喰い物にしているのだ。
 
こんなような「絵」は簡単に書けます。
 
でもこれまた、それこそイメージを語っているだけ。
 
それでは解決には全く繋がらないのであります・・・・ 
 
アフリカ内戦の真実は何か?? 
 
近頃は、日本のメディアもそうですが、世界のメディアもそのような「真実」を伝えることができなくなっているようでありますな・・・・ 
 

(続く) 
 
 
====エレンジョンソンサーリーフ講演(3)=====
 
 
国王陛下、そして私の姉妹、兄弟達へ

ノーベル委員会は、私たち三人の受賞者が女達のために話すことを認めませんでした。
しかし、女達に向けて話す舞台を与えてくれました。それはまた世界中のあらゆる国籍、肌の色、宗教、社会的地位をもった女達に対しての舞台です。
 
残虐な暴力のもたらす広範囲にわたる破壊を目の当たりにしてきた私の姉妹達よ、私はあなたたちに私の栄誉とそしてこの賞をささげます。

近年、コンゴ民主共和国、ルワンダ、シエラレオネ、ソマリア、旧ユーゴスラビアそして私の国リベリアで発生した狂気は破壊行動をもたらしました。そして、報道すらされませんでしたが、女性に向けて信じ難い残虐な行為が行われたことが明らかになっています。

国際裁判所が「強姦が戦争の武器として使われるならば、それは人道に対する犯罪である」と明快に宣言していたにもかかわらず、違法な強姦が続いていたのです。この20年というもの、私の多くの妹達と娘達が、あらゆる年齢の女達が、想像もできないほど残虐な暴行を受けてきました、そして悪辣で良識を否定する行為が多くの命を奪ってきたのです。
 
女達、娘達は、その体を切り刻まれ、その希望を砕かれるという形で、国内外での武力紛争へのいわれのない代償を支払ったのです。私達が支払った「金」は、血と涙と尊厳でした。

けれども、女性の権利を守る必要性は、ただ戦争という限られた場所に限られるわけではありません。そしてまた、武力紛争や暴力によってのみ、この権利に対する脅威が生まれてくるわけではありません。
 
女性教育は重要な投資ではなく無用な道楽である、などと最近は言われなくなってきましたが、それでもなお、資金と人材は十分ではありません。
女はしばしば、その能力が十分なものであっても、学術追求の場においては失望にかられているのです。

私たちは今日という日を祝福するのと同時に、直面する膨大な課題があることも忘れずにいましょう。
世界中のあまりにも多くの場所で、女性に対する犯罪が報告されずにいます。そしてまた、女性を保護するため法律も発効されずにいます。

この21世紀に、1年間で百万人もの人間、そのほとんどが女や子供ですよ、を商取引するような国があってはなりません。
女や子供が暴力をふるわれたり、暴行を受けたりするような国があってはなりません。
リーダーシップは男にだけ備わっている、なんてことを信じている国があってはならないのです。
 
 

Your Majesties, my sisters and my brothers:
 
The Nobel Committee cannot license us three Laureates to speak for women. But it has provided us a platform from which to speak to women, women around the globe,. whatever their nationality, their color, their religion, or their station in life. It is you, my sisters, and especially those who have seen the devastation that merciless violence can bring, to whom I dedicate my remarks, and this Prize.
 
There is no doubt that the madness that wrought untold destruction in recent years in the Democratic Republic of Congo, in Rwanda, in Sierra Leone, in Sudan, in Somalia, in the former Yugoslavia, and in my own Liberia, found its expression in unprecedented levels of cruelty directed against women.
 
Although international tribunals have correctly declared that rape, used as a weapon of war, is a crime against humanity, rapes in times of lawlessness continue unabated. The number of our sisters and daughters of all ages brutally defiled over the past two decades staggers the imagination, and the number of lives devastated by such evil defies comprehension.
 
Through the mutilation of our bodies and the destruction of our ambitions, women and girls have disproportionately paid the price of domestic and international armed conflict. We have paid in the currencies of blood, of tears, and of dignity.
 
However, the need to defend the rights of women is not limited to the battlefield, and the threats to those rights do not emanate only from armed conflict (violence). Girls’ education, seen far too often as an unnecessary indulgence rather than the key investment it is, is still under-funded and under-staffed. Too often girls are discouraged from pursuing an academic training, no matter how promising they may be.
 
As we celebrate today, we are mindful of the enormous challenges that we still face. In too many parts of the world, crimes against women are still under-reported, and the laws protecting women are under-enforced. In this 21st century, surely there is no place for human trafficking that victimizes almost a million people , mostly girls and women, each year. Surely there is no place for girls and women to be beaten and abused. Surely there is no place for a continuing belief that leadership qualities belong to only one gender.

 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(2) [指導者]


 エレン・ジョンソン・サーリーフ女史の2回目です。
 
 彼女の師、というより同志ですかね、ワンガリ・マータイ女史の言葉を引用していますが、いわく、「特権を持つ人間は次世代のリーダーの範となるべし」。ここで言う特権とは、”priviledge”の訳で、普通は金や権力などの特権のことなんですが、ここでは教育や訓練を受けたことも含まれるようです。ちょっと意外な感覚でした。
 もっと言うと、教育を受けたという恩恵と、強い権力をもった特権、を併せて”priviledge”と言っている感じですね。 
 
 そんなわけで、ここでご自身が述べられているように、サーリ-フ女史は高度な教育を受けたうえに、リベリアの大統領という強大な権力をも併せ持った人間であるわけです。
 さぞやマータイさんのこの言葉は沁みることでありましょう。
 
 サーリーフ女史が何故高等教育を受けられたのか?についてはここでは語られておりませんね。是非調べてみたいものです。確かに流暢な英語で喋られています。
 そういえば、前回の 「エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(1)」を書いた時点あたりで、ノーベルレクチャーのビデオが見られるようになっていました。この映像を見る限り、全く完璧な英語でした(自分との比較では)。
 
 つまり彼女は、イギリスかアメリカで教育を受けた疑いが濃い、ということです。
 
 近年の日本のソーリダイジンという職業の人々の中には、海外大学や大学院(主にアメリカが多いようです)を卒業された経歴をお持ちの方が何人もおられるようですが、どなたもサーリーフ女史ほど流暢にはおしゃべりにはならないようです。 
 
 なぜ?
 
 言うまでもありませんが、命懸けで勉強しておられる方と、ファッションやトレンドで「お留学」されている方との差でありましょう。 
 ついでに申し上げると、レイマー・ゴヴォウェー女史も流暢に英語をしゃべられますね。羨ましい。
 
 ここではまたサーリーフ大統領の信念というか、心構えが聞かれて面白いと思いました。
 曰く、 
 「戦争と略奪によって破壊されかけた国家を建て直す、という極めて大きな責務を負うのと同時に、リベリアの人々に使えるという特別な任務を与えられた時に、私の人生は永遠に変わったのです。」 
 
 ここの 、「リベリアの人々に使えるという特別な任務」、原文では「privilege to serve the people of Liberia」となっていたのをこのように訳しました。つまりは、大統領というのは国民の下僕である、という考えでありましょうか。
  
 私などは、いわゆるこれが民主主義の原点ではないか、と思うわけなのであります。しかしシニカルに考えて、果たしてそれを声高に主張するサーリーフ女史が、ご自身はこの言葉をどこまで守って行けるのでしょうか?
 
 権力の腐敗は世の常でありますから、10年先の未来では何が起こっているのかは想像し難いわけでありまして・・・??? 
 
 ところで”priviledge”は、上のほうでは恩恵あるいは特権という意味で、そしてここでは任務・責務の意味で使われてます。よほどサーリーフ女史のお気に入りの言葉なんでしょうか。
 
 幼年にあっては恩恵として受け、壮年にあっては力として用い、後年にあっては責務として背負う。な~んて。
 
 
 続く 
 
 
========エレン・ジョンソン・サーリーフ講演(2)=======
 
ここで、アフリカ女性として初めてこの栄誉を得た故ワンガリ・マータイの思い出について述べたいと思います。彼女の功績は永遠に私たちを鼓舞し続けるでしょう。
2004年に授賞したマータイ教授はこう言いました。「教育や訓練やそして経験、ましてや権力を得ることのできる特権をもった人間は、次の世代のリーダーシップの範とならねばならない!」と。私たちは多分、この責任を果たせているのでしょう。
 
私はまた、数えきれないほど多くの女達も称えたいと思います。彼女達の努力や犠牲は決して知られることはありません。しかし、その一人ひとりの無言の戦いが私たちの世界を形作ることにつながっているのです。

レイマーやタワクルも思っていますが、この賞は多くの人々にこそ相応しいのであり、私たちはその切望を代弁しその権利を守る義務があるのです。私たちは彼らの影にすぎないのです。
この認識は大きな責任につながります。歴史は、今私たちがここで話したについてではなく、私たちが次に自国の人々の生活をどれほど良くするかによって、私たちを判定するのです。

タワクル、あなたは平和と女性の権利についての神秘的な活動家です。あなたの国では独裁的なルールが横行しています。しかし人々の声なき声を聞く方法をあなたは見出したのです。
 
レイマー、あなたは平和の作り手です。あなたはリベリアの女達を動員して自国に戻らせる勇気がありました。あなたは野蛮な市民紛争の「前線」を作り変えたのです―女達は白い服をまとい道で訴えました―この障壁を超える勇気をもった戦争指導者はいませんでした。

私のは長い旅でした―オスロへの生涯を掛けた旅です。それは、リベリア生まれで読み書きもできず、農業と商売をしていた私の両親とそして二人の祖母によって方向づけられたものでした。彼らは私にこう教えました、他者に尽くすことによって人生は真に讃えられるのだと。

私の旅は、私を高度な教育を通じて開かれた社会へと導いてくれた、多くの教官と指導者に支えられたものでした。そしてそれが、すぐれた教育を受けることは私たちにとっての正義である、という私の信念につながったのです。

私の人生は、数千人の人々が結集して私の収監から救ったり、あるいは、私を捕縛する側の人間の個人的な行動によって私を救ったりしたことで守られてきました。

私の人生は、戦争と略奪によって破壊されかけた国家を建て直すという極めて大きな責任とともに、リベリアの人々に使えるという特別な任務を与えられたときに、永遠に変わったのです。紛争の後の復興にはロードマップなどありませんでした。しかし私たちには、私たちの国を過去に戻すことはできないということが分かっていました。私たちは、平和を守ることこそが、最も大事な果たすべき責任であるということを知ったのです。
  

Accepting the award in December 2004, Professor Maathai said, “Those of us who have been privileged to receive education, skills, and experiences and even power must be role models for the next generation of leadership!” May we all resolve to fulfill that duty!
I also honor the memory of countless women whose efforts and sacrifice will never be recognized, and  who, in their private and silent struggles, helped to shape our world.
As Leymah and Tawakkul know, this award belongs to the people whose aspirations we have the privilege to represent, and whose rights we have the obligation to defend. We are but their reflection.
 
With such a distinction comes great responsibility. History will judge us not by what we say in this moment in time, but by what we do next to lift the lives of our countrymen and women. It will judge us by the legacy we leave behind for generations to come.
Tawakkul, you are an inspirational leader and activist for peace and women’s rights. In your country, autocratic rule prevails; but where they had no voice, you found a way to be heard.
Leymah, you are a peacemaker. You had the courage to mobilize the women of Liberia to take back their country. You redefined the “front line” of a brutal civil conflict – women dressed in white, demonstrating in the streets – a barrier no warlord was brave enough to cross.
Mine has been a long journey, a lifetime journey to Oslo. It was shaped by the values of my parents and by my two grandmothers – indigenous Liberians, farmers and market traders – neither of whom could read or write. They taught me that only through service(serving others) is one’s life truly blessed. f our time.
 
My life was safeguarded when thousands mobilized around the world to free me from imprisonment, and my life was spared by individual acts of compassion by some of my captors.
My life was forever transformed when I was given the privilege to serve the people of Liberia – taking on the awesome responsibility of rebuilding a nation nearly destroyed by war and plunder. There was no roadmap for post-conflict transformation. But we knew that we could not let our country slip back into the past. We understood that our greatest responsibility was to keep the peace.

My journey was supported by my many teachers and mentors who guided me to a world opened up by the enlightenment of higher education, and which led to my conviction that access to quality education is the social justice issue o

 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(1) [指導者]


ながらくお休みしておりましたが、ノーベル賞シーズンの到来(終了?)に伴い再開いたします。
 
元来、昨年の12月から再開しようとしていたのですが、せっかくなのでノーベル.orgのHPでレクチャービデオを見てからにしようと思いました。
ところが、「まもなくご覧いただけます」とは書いてあるものの、なかなかこれが見られない。
いったいノーベル委員会は何をやっているのか?
どこからか圧力がかかったのか??
日本のメディアじゃあるまいに???
 
そう思っておりましたところ、ついに年が明けてしまいました。
しかし、ぼちぼちと訳も進んできたので、再開することにしようといういうわけです。
  
さて、この年のノーベル平和賞は本稿のエレン・ジョンソン・サーリーフ氏、レーマー・ゴヴォウェ氏、タワクル・カルマン氏という3名の女性が受賞されました。
 
エレン・ジョンソン・サーリーフ氏はリベリアの大統領、レーマー・ゴヴォウェ氏はリベリアの平和運動の主導者で、いわばサーリーフ氏の弟子、ではなくてシスターでしょうか・・・。
 
そしてタワクル・カルマン氏はイエメンの活動家でアラブの春の主導者。
 
そういったお三方です。

サーリーフ氏とゴヴォウェ氏はともにリベリア出身のアフリカ人女性でありまして、サーリーフ氏がここで述べられているように、以前本稿で取り上げたワンガリ・マータイ女史のいわば信奉者でもあるようです。
 
そういえば昨年、ワンガリ・マータイさんが亡くなられましたねえ。惜しい人を亡くしました。
けれども、アフリカ平和運動の襷はマータイ氏からこのお二人へと引き継がれた、ということになりましょう。 
グリーンベルト運動も頑張ってほしいものです。 
 
いずれにしても、しばらくの間、当代を代表する女性達の主張に耳を傾けることとなります・・・  

 
 
--------------エレン・ジョンソン・サーリーフ講演------------------- 
 
 国王陛下、閣下、各国大使、ノルウェーノーベル賞委員会の皆さん、兄弟たちへ。

全てのリベリアの女性、アフリカの女性、そして世界のいたるところで平和と正義と平等のために戦う女性の代理として、私は2011年のノーベル平和賞を大いなる謹みを持って受けることにします。

私はとりわけ、この舞台に立った何名かの男と一人の女の後継者となれたことを誇りに思います。それは、アルバート・ジョン・ルトゥーリ、デスモンド・トゥトゥ、ネルソンマンデラとデクラーク、コフィ・アナン、ワンガリ・マータイ、モハメド・エルバラダイ、といった人々であります。
ついでに、バラク・オバマ、マルティン・ルーサー・キングJr、そしてラルフ・バンチというアフリカ系アメリカ人達もいましたっけ。
  
国王陛下、私はまず陛下へのメッセージから始めます。これは陛下を通じてノルウェー国民へ伝わるでしょう。
この国は今年の初め、77名が殺されるという悲劇に直面しました。それはまさしく、この国の精神に対する憂慮すべき攻撃でありました。しかし、そのような不幸な出来事に直面しても、開放性と誠実さと正義の価値を伝統的に信奉するノルウェーの各市民層あるいは個人の反応には揺るぎがありませんでした。このことで世界は、あなたとこの偉大な国の市民に敬服したのです。私はあなたに亡くなった方々に対するリベリア国民からの深いお悔やみを申し上げるとともに、大いなる敬意を表します。

今年の平和賞において、ノーベル委員会はこの場に、変化を標榜し内戦によって引き裂かれた社会において法と民主主義という規範を推し進めてきた、という点で共通する3人の女性を迎えました。そして事実、私たち―リベリアからの二人の女は―イエメンの妹と共にこの舞台を分かち合い、私たちの闘争の持つ普遍性を訴えるのです。

性と地の境界を超越した偉大な女達の不屈の精神は、私たちと今ここにあります。1899年にハーグ平和会議を主催したことにより栄誉を得たオーストリアのバローネ・ベルタ・フィリエンタス・フォン・ズットナーやハルハウスのジェーン・アダムス。アメリカの活動家エミリー・グリーン・バルチ、北アイルランドのベティ・ウイリアムスとメイリード・コリガン。マザー・テレサと英雄アウンサンスーチ。リゴベルタ・メンチュー、ジョディ・ウイリアムス、シリン・エバディそしてワンガリ・マータイ。これら私たちの先駆者、ノーベル平和賞受賞者達は、私たちの絶えることのない平和追求努力を、さらに倍増せよと訴えているのです。

ここで、アフリカ女性として初めてこの栄誉を得た故ワンガリ・マータイの思い出について述べたいと思います。彼女の功績は永遠に私たちを鼓舞し続けるでしょう。
2004年に授賞したマータイ女史はこう言いました。「教育や訓練やそして経験、ましてや権力を得ることのできる特権をもった人間は、次の世代のリーダーシップの範とならねばならないのだ!」と。私たちは多分、この責任を果たせているのでしょう。
私はまた、数えきれないほど多くの女達も称えたいと思います。彼女達の努力や犠牲は決して知られることはありません。しかし、その一人ひとりの無言の戦いが私たちの世界を形作ることにつながっているのです。


続く
 

A Voice for Freedom!
 
Your Majesties, Royal Highnesses, Excellencies, Members of the Norwegian Nobel Committee, Nobel Laureates, my brothers and sisters:
On behalf of all the women of Liberia, the women of Africa, and women everywhere in the world who have struggled for peace, justice and equality, I accept with great humility the 2011 Nobel Prize for Peace.
 
I am particularly honored to be a successor to the several sons and one daughter of Africa who have stood on this stage – Chief Albert John Lutuli, Archbishop Desmond Tutu, Nelson Mandela and F.W. de Klerk, Kofi Annan, Anwar el-Sadat, Wangari Muta Maathai, Mohamed ElBaradei, as well as Barack Obama, Martin Luther King, Jr. and Ralph Bunche, Americans of African descent.
 
Your Majesties: I begin with a message to you and, through you, to the people of Norway. Your country faced a tragedy earlier this year with the murder of 77 people. It was a deliberate assault on the very heart of your society. Yet, in the face of such adversity, the response at every level of public and private Norwegian life has been consistent with your historic adherence to the values of openness, integrity and justice. For this, the world admires you and all of the citizens of this great country. I offer you the deepest sympathy of the people of Liberia for the loss of life and I extend to you our profound respect.
 
In its selection this year, the Nobel Committee has brought here three women linked by their commitment to change, and by their efforts to promote the rule of law and democracy in societies riven by conflict. The fact that we – two women from Liberia – are here today to share the stage with a sister from Yemen speaks to the universality of our struggle.
 
The enduring spirit of the great women whose work transcended gender and geographical boundaries is in this room with us. From Baroness Bertha Felicie Sophie von Suttner of Austria, honored for promoting the Hague Peace Conference of 1899, to Jane Addams of Hull House fame; from the American activist Emily Greene Balch to Betty Williams and Mairead Corrigan of Northern Ireland; from Mother Teresa to the heroic Aung San Suu Kyi, as well asRigoberta Menchu, Jody Williams, Shirin Ebadi, and Wangari Maathai: these our forebears, these women who are Nobel Peace Laureates, challenge us to redouble our efforts in the relentless pursuit of peace.
 
I would like to take a moment to honor the memory of the late Wangari Maathai, the first African woman to receive this great honor. Her accomplishments will forever inspire us.
Accepting the award in December 2004, Professor Maathai said, “Those of us who have been privileged to receive education, skills, and experiences and even power must be role models for the next generation of leadership!” May we all resolve to fulfill that duty!


IAEA ムハンマド・エルバラダイ講演を読む(5)


お粗末、なんともお粗末。

日本国政府と東京電力、そして原子力安全・保安院。

そしてIAEA、お前もか?

福島原発の事故、すでに発生から1ヶ月以上が経過しているのにもかかわらず、収束の見通しがまったく立ちません。

この間に、チェルノブイリ級の放射能拡散があり、シビアリティLevel7となったのは当然なのですが、一部で「拡散した放射性物質の量はチェルノブイリの1/10に過ぎない」などという世迷言を抜かすバカがいるのは本当に困りものです。海に流した汚染水の問題には言及せず、事態をなんとか過小評価しようという姿勢も問題です。

フランスの女性CEOとやらも一体何をしに来たんだかわかりませんが、なによりもショックなのは、IAEAという団体が殆ど機能不全に陥っているらしい、ということでありましょう。

事故発生の一週間後に、IAEAの天野という事務局長が来日したのですが、政府・東電との話し合いの後に行われた記者会見たるや「悲惨」の一言。極めつけは「福島」と「福井」を言い間違えていることでありましょう。

あるいは本当に福井県の出来事と認識していたのでしょうか?

このような「恥さらし」は、今後も滅多に見られるものではないでしょう。まさに末代までの恥。

そのような訳で、IAEAという団体は、世界の原子力愛好家達のスケープゴートであるということが明白になってしまったという、まことにお粗末な顛末であったわけです。

ちなみにIAEAとWHOも結託していて、放射性物質による人的被害については、「少なく少なく見積もる」という暗黙の了解があるとの由。

まさに世界は核の暗闇にある、ということでありましょうか。


ということで、先代の事務局長エルバラダイ氏の講演も、以下さらっと訳してお仕舞いにしたい気分です。

そういった色眼鏡越しに読むせいか、このヌルさたるや噴飯ものですね。

核の平和利用という名目自体がそもそも怪しいのです。そして「核の脅威」を北朝鮮やイランのような反米国家、あるいはテロ組織に一元化してしまい、本当の脅威から人々の目をそらそうとしているようにも感じます。

そもそも本当の「核の脅威」というのは、核分裂生成物、すなわち高レベルの放射線廃棄物、いわゆる「死の灰」、「核のゴミ」の取り扱いの問題であって、これが今の人類の手に負えないことにあるのです。
このゴミが地上に撒き散らされることで、数十年、数百年、数万年という長きにわたって放射線を出し続け、生物に甚大な被害を与える続けることが問題なのです。

エゴイストである白人は、このゴミを地中深くに廃棄して終わりにしようとしています。しかし、このゴミはひたすら溜まり続けます。つまり、この地層処分というのは単に数千年~数万年~数十万年後に問題を先送りにするだけの野蛮な代物なのです。まさに究極の先送りなのです。一体、どこのだれが数千年~数万年後の出来事に責任を持つというのでしょうか?

つまり、世界中の核愛好家達は、せいぜい自身の寿命を数十年、そして組織の寿命も100年かそこらと考えて、その期間をうまく逃げ切ることを考えているのです。そしてその間、できるだけ多くの国家、企業、団体を巻き込んで原子力ビジネスを煽り、うまい汁を吸おうとしているのです。人が何人死のうが、障害児がどれほど生まれようが、そんなことを一顧だにしないのです。そんな数字はIAEAとWHOに圧力をかければ、いくらでも改竄できると思っているのです。

核愛好家の手口の恐ろしさは、国家を取り込んでしまっていることです。

つまり、単独の企業あるいは企業連合体が行うビジネスとして、原子力発電は絶対にペイしないことを彼らは非常に良く理解しているのです。リスクが大きすぎるのです。だから、彼らは原子力ビジネスのリスクを、全て国家に負わせているのです。

エネルギー危機とCO2と地球温暖化を声高に叫び、国家プロジェクトという名目で原子力発電をやらせるのです。

今回の福島で明らかになったことのひとつは、東京電力という企業が犯した失敗の代償を、国が肩代わりする、ということです。そして国が肩代わりするということは、結局われわれ国民が税金で負担する、ということです。なんということか。

世界中の原子力発電ビジネスというのは、みな同様にリスクを国民に分担させているということなのです。それが国家プロジェクトという名目の持つ本当の意味なのです。
そして、核廃棄物についても同様です。こちらはなんと、数万年後の私たちの子孫にリスクを背負わせるということです。

ビジネスの全体像を理解している核愛好家達は、このような構図のもとに無知で強欲な政治家と無恥で傲慢な行政官吏を上手に騙して原子力発電を売り込んでいるのです。
まさに悪魔のビジネス、悪鬼の商法。

私たちは福島県とその海、という高い代償を払い、原子力発電というビジネスの正体を知ることになったということです。できればこのあたりで打ち止めにしなければなりません。

ということで、エルバラダイさんには善良なるエジプト市民として今後もジョン・レノンを歌い続けていただきましょう。

子孫に残す遺産が、「山ほどの核廃棄物」では困るのです。
例えそれが平和の代償であったとしても・・・


(了)

みなさん

私は、ここまで原子力エネルギーの悪用との戦いについて述べてきましたが、つぎにこのエネルギーが、人間に大きな利益をもたらすということを話そうと思います。

IAEAでの私たちの毎日の仕事は、世界中で核および放射線技術が人々の役に立つようにすることです。ベトナムにおいてはIAEAの支援によって開発された、栄養価の高い米の生産をしています。ラテンアメリカでは、核技術が地下水脈のマッピングに使われ、恒久的に水の供給が可能になりました。ガーナでは数千人のガン患者に対して、新型の放射線治療装置が提供されるようになりました。南太平洋では、日本の科学者が核技術を使って気候変動の研究を行っています。インドでは8機の原子力発電所が建設中であり、この成長する国にクリーンな電力を供給することになります-これは世界中で急速に盛り上がっている核エネルギーへの期待の表れです。

これらと、そして他の数千ものプロジェクトはIAEAの理想である「平和のための原子力」の好適な例なのです。

しかし、原子力エネルギーと核技術の使用拡大は、同時に核の安全性と安全保障が最高のレベルで維持されることを必須条件としたのです。

チェルノブイリ事故の後、私たちは世界中で核の安全技術の向上に努めてきました。そして2001年9月のテロ攻撃以降は、核の安全保障に着目した仕事をしてきました。その二つの最前線で私たちは、法的な規範と技術基準に関する国際ネットワークを作り上げたのです。
しかしより明確な出来事があります。数百もの課題、それは世界のさまざまな場所で、世界中のエキスパートたちが、数百もの課題を克服し核に関する活動が、技術的にもセキュリティにおいても安全であることを確証したのです。

私はIAEAで働く2300人の職員を誇りに思います-この同僚たちと私はこの栄誉を分かち合います。その何名かは今日、私とともにこの場にいます。私たちは90の国から来ています。私たちは私たちの仕事に対して多くの異なった視点を持っています。この多様性が私たちの力なのです。
私たちは権力側からの制限を受けています。予算も慎ましいものであり、軍隊を持っているわけでもありません。
しかし私たちはその強い信念で武装し、権力の側に対して真実を訴え続けます。独立性と客観性にもとづいて、その義務を遂行し続けて行きます。

ノーベル平和賞は、私たちの安全保障と開発のための奮闘と辛抱に対する、力強いメッセージです。永続的な平和というのは、単独に達成されるものではなく、環境やプロセス責務も含めたものなのです。

みなさん
今日私が描いた構図は少し奇異なものかもしれませんが、最後に私の持つ希望について述べたいと思います。
私が希望を持っているのは、グローバリゼーションのポジティブな面で、それは国家や人々が政治的、経済的、そして社会的に相互依存し始めていて、そのことが戦争という選択肢を選び難くしていることです。

ヨーロッパ連合の25カ国のメンバーは、経済的、社会-政治的依存が進展するにつれ、武力による紛争解決というものには合理性がほとんどないと考え始めています。同様の事態が、ヨーロッパと中央アジア、そして北米の55カ国からなる安全保障組織の間でも現れています。力が正義となって弱者を守っているような地域においても、同様の多国間同意と国際協力によってこのようなモデルが進展しうるでしょうか?

私が希望を持っているのは、市民社会というものがより良く知られ、より魅力的なものになっていることです。彼らは、多様性と寛容さとそして平等を基本とした民主的な社会を作ろう-そういう変革への圧力を政府に対してかけます。彼らは創造的な答えを提示します。自意識を強くし、資金を提供し、市民意識を地域から社会全体へと移植しようと働きかけます。人間を家族として近づけようとします。

「汝は汝の兄弟の守護者であるのか?」という最も古くから繰り返された問いに対して、私たちは今、過去のどんな時代より、より肯定的な答えができるでしょう。
海を越えて人々を隣人とみなすには、新たな物の見方と心の変化が求められるのです。

最後に私は、私の子供たちとその世代の人々の中に希望を見出すのです。

私は19歳のときに始めて海外に行きました。私の子供たちは私よりも幾分恵まれています。彼らが他国の文化に出会ったのは、まだ胎児のころです。そして多様な文化の中で育ちました。そして確実に言えるのは、私の息子と娘は、肌の色や人種、国籍を気に留めることがないということです。彼らはその友達である、ノリコ、マフポ、ジャスティン、サウロ、ハッサムの間には何の違いも感じることはないのです。ただ仲の良い人間であり良い友だということです。
グローバリゼーション、それは旅やメディアやコミュニケーションを通じたものでありますが、それは私の子供たちとその仲間がそうである様に、私たちがお互いを同じ人間と認め合うことを助けるものなのです。

閣下、国王陛下、紳士淑女の皆様

想像してごらん、国家が、戦争のために使うのと同じお金を開発に振り向けたならどうなるうのかを
想像してごらん、世界中の人々が自由と尊厳の中で生きて行けることを
想像してごらん、ダルフールとバンクーバーで死んでゆく子供に対して世界が同じ涙を流すことを
想像してごらん、世界が紛争を爆弾や銃弾ではなく外交と対話によって解決することを
想像してごらん、核兵器が博物館の遺物だけになることを
想像してごらん、私たちが子孫に残せる遺産は何かを?
想像してごらん、この世界は私たちの英断の中にあるということを


Ladies and Gentlemen.

I have talked about our efforts to combat the misuse of nuclear energy. Let me now tell you how this very same energy is used for the benefit of humankind.
At the IAEA, we work daily on every continent to put nuclear and radiation techniques in the service of humankind. In Vietnam, farmers plant rice with greater nutritional value that was developed with IAEA assistance. Throughout Latin America, nuclear technology is being used to map underground aquifers, so that water supplies can be managed sustainably. In Ghana, a new radiotherapy machine is offering cancer treatment to thousands of patients. In the South Pacific, Japanese scientists are using nuclear techniques to study climate change. In India, eight new nuclear plants are under construction, to provide clean electricity for a growing nation – a case in point of the rising expectation for a surge in the use of nuclear energy worldwide.

These projects, and a thousand others, exemplify the IAEA ideal: Atoms for Peace. 
But the expanding use of nuclear energy and technology also makes it crucial that nuclear safety and security are maintained at the highest level. 

Since the Chernobyl accident, we have worked all over the globe to raise nuclear safety performance. And since the September 2001 terrorist attacks, we have worked with even greater intensity on nuclear security. On both fronts, we have built an international network of legal norms and performance standards. But our most tangible impact has been on the ground. Hundreds of missions, in every part of the world, with international experts making sure nuclear activities are safe and secure.

I am very proud of the 2,300 hard working men and women that make up the IAEA staff – the colleagues with whom I share this honour. Some of them are here with me today. We come from over 90 countries. We bring many different perspectives to our work. Our diversity is our strength. 
We are limited in our authority. We have a very modest budget. And we have no armies. 
But armed with the strength of our convictions, we will continue to speak truth to power. And we will continue to carry out our mandate with independence and objectivity.
The Nobel Peace Prize is a powerful message for us – to endure in our efforts to work for security and development. A durable peace is not a single achievement, but an environment, a process and a commitment.

Ladies and Gentlemen.

The picture I have painted today may have seemed somewhat grim. Let me conclude by telling you why I have hope.
I have hope because the positive aspects of globalization are enabling nations and peoples to become politically, economically and socially interdependent, making war an increasingly unacceptable option. 

Among the 25 members of the European Union, the degree of economic and socio-political dependencies has made the prospect of the use of force to resolve differences almost absurd. The same is emerging with regard to the Organization for Security and Co-operation in Europe, with some 55 member countries from Europe, Central Asia and North America. Could these models be expanded to a world model, through the same creative multilateral engagement and active international cooperation, where the strong are just and the weak secure?
I have hope because civil society is becoming better informed and more engaged. They are pressing their governments for change – to create democratic societies based on diversity, tolerance and equality. They are proposing creative solutions. They are raising awareness, donating funds, working to transform civic spirit from the local to the global. Working to bring the human family closer together.

We now have the opportunity, more than at any time before, to give an affirmative answer to one of the oldest questions of all time: "Am I my brother's keeper?"
What is required is a new mindset and a change of heart, to be able to see the person across the ocean as our neighbour. 

Finally, I have hope because of what I see in my children, and some of their generation. 
I took my first trip abroad at the age of 19. My children were even more fortunate than I. They had their first exposure to foreign culture as infants, and they were raised in a multicultural environment. And I can say absolutely that my son and daughter are oblivious to colour and race and nationality. They see no difference between their friends Noriko, Mafupo, Justin, Saulo and Hussam; to them, they are only fellow human beings and good friends. 
Globalization, through travel, media and communication, can also help us – as it has with my children and many of their peers – to see each other simply as human beings.

Your Majesties, Your Royal Highness, Ladies and Gentlemen.

Imagine what would happen if the nations of the world spent as much on development as on building the machines of war. Imagine a world where every human being would live in freedom and dignity. Imagine a world in which we would shed the same tears when a child dies in Darfur or Vancouver. Imagine a world where we would settle our differences through diplomacy and dialogue and not through bombs or bullets. Imagine if the only nuclear weapons remaining were the relics in our museums. Imagine the legacy we could leave to our children.
Imagine that such a world is within our grasp.



IAEA ムハンマド・エルバラダイ講演を読む(4)

3月11日の大規模地震により、東北太平洋岸の多くの町が壊滅してしまいました。

この被害の多くは津波によるものであり、地震の揺れによる被害というのは、おそらくそれに比べれば非常に小さかったのではないでしょうか。

そして、それよりも、なによりも。地震より津波より、より深刻なものとなりつつあるのが「原発」です。

どういうめぐり合わせか、本稿でとりあげていたIAEAという団体も、これには深くかかわっているようです。

日本国中を恐怖とパニックに陥れたのは「東電」と「政府」ですが、その恐怖とパニックの裏の主役は「原子力保安院」なる団体のようです。

多くの人々はこの「原子力保安院」なる団体はいったい何者なのか?を知らなかったはずです。もちろん私もですが。

その後さまざまな情報から知ったことのひとつは、「原子力保安院はIAEAの日本でのカウンターパート(:相当するもの=協力者or出先機関)である」ということです。 

しかし、あのようにしどろもどろで棒読みて曖昧、誠実さや真実味が微塵も感じられない会見を見る限り、とてもこれまで読み進めてきたIAEAの理念や輝きとはまったく無縁の団体としか思えないわけです。

もしも 「原子力保安院=IAEAの日本でのカウンターパート」が真実であるとするならば、本稿の読み進め方もひっきょう変わらざるを得なくなります。

そういうわけで、本稿は少し前置きが長くなってゆくことになります。なぜならば、そういった目で眺め始めると、このムハンマド・エルバラダイ氏の講演の端々に、腐敗と堕落の兆しがどことなく見えてくるからです。

シェークスピアがなんだってえ?宗教だって言うほど単純じゃあありませんぜえ、だんな。

続く

----------- IAEA ムハンマド・エルバラダイ講演(4)-----------

みなさん

進化や知性の限界あるいは天地創造を信ずるどうかは別として、はっきりしていることがあります。それは、人類はその歴史の始めから、宗教、イデオロギー、民族その他を口実にして互いに戦争を続け、そしてその保有する最も威力のある兵器を進んで放棄する者は誰もいなかったということです。今日私たちは、近代テクノロジーは互いに共有できるものであるということを認めていますが、反面私たちの価値観は共有できるものであることを、その根底において認めようとはしていません。

私はエジプト出身のイスラム教徒で、カイロとニューヨークで学び、現在はウィーンに住んでいます。私の妻と私は、半年を北で過ごし、半年を南で過ごしています。そのなかで私たちはまず、人々の独自の慣習と互いに持ちうる共通の価値観を経験したのです。

シェークスピアは「ベニスの商人」のなかで家族の一人一人にこう言います。「あなたが私を傷つければ血の出ないことはないでしょう。あなたが私をくすぐれば笑わないことはないでしょう。あなたが私に毒をもれば死なないことはないでしょう。あなたが私に悪さをすれば仕返しをうけないことはないでしょう。」

そして私たちは忘れてはいないでしょうか?
寛容さなくして生まれた宗教はなく、人間の尊厳を尊ばない宗教もないということを。

ユダヤ教では、人間という存在の美しさと喜びを尊びます。
キリスト教では、隣人愛を説きます。
イスラム教では、不当に人を殺すことは全ての人を殺すことに等しいと主張します。
ヒンズー教では、全宇宙がひとつの家族であると考えます。
仏教では、全ての存在を価値あるものとして祝福することを説きます。

寛容さと人間の尊厳を機軸とした社会というものは理想に過ぎず、国境や人種そしてイデオロギーこそが喫緊の問題なのだ、と言う人々がいます。そのような人々に私はこう言います。これは理想主義ではなくもっと現実的な主張であるなぜなら私たちは過去の歴史において戦争が紛争を解決したことはほとんどなかったことを学んできたのだからと。力によって新たな傷を生むことはありますが、古い傷を癒すことはできないのです。

 

Ladies and Gentlemen.
Whether one believes in evolution, intelligent design, or Divine Creation, one thing is certain. Since the beginning of history, human beings have been at war with each other, under the pretext of religion, ideology, ethnicity and other reasons. And no civilization has ever willingly given up its most powerful weapons. We seem to agree today that we can share modern technology, but we still refuse to acknowledge that our values – at their very core – are shared values.

I am an Egyptian Muslim, educated in Cairo and New York, and now living in Vienna. My wife and I have spent half our lives in the North, half in the South. And we have experienced first hand the unique nature of the human family and the common values we all share.

Shakespeare speaks of every single member of that family in The Merchant of Venice, when he asks: "If you prick us, do we not bleed? If you tickle us, do we not laugh? If you poison us, do we not die? And if you wrong us, shall we not revenge?"

And lest we forget:
There is no religion that was founded on intolerance – and no religion that does not value the sanctity of human life.
Judaism asks that we value the beauty and joy of human existence.
Christianity says we should treat our neighbours as we would be treated.
Islam declares that killing one person unjustly is the same as killing all of humanity.
Hinduism recognizes the entire universe as one family.
Buddhism calls on us to cherish the oneness of all creation.

Some would say that it is too idealistic to believe in a society based on tolerance and the sanctity of human life, where borders, nationalities and ideologies are of marginal importance. To those I say, this is not idealism, but rather realism, because history has taught us that war rarely resolves our differences. Force does not heal old wounds; it opens new ones.
 

 

 


IAEA ムハンマド・エルバラダイ講演を読む(3)

リビアでは内戦が続いています。昨日のテレビで手嶋某氏が、アメリカ政府がリビアを核武装解除させておいて本当に良かった、と言ってました。もし今でも核を持っていたとするなら、周辺国つまりはヨーロッパ各国は非常な危機に晒されていただろう、ということなんですが、でもそれと引き換えに経済援助をしてたのだから、本当に良かったの?という疑問はあります。

その援助によってカダフィ政府軍は豊富な武器と兵を持つことができたわけで、特に英国製の武器や露製戦闘機なんかを。そして欧米からは傭兵も雇えたわけです。架空の脅威:威嚇である核と、現実の武器による国民に対する攻撃。これらをはかりにかけるのは難しいことです。

もしカダフィが核をもっていてブッシュが大統領だったなら、アメリカは間違いなくミサイル攻撃していたことでしょう。

どちらにしても革命軍の苦戦は続きます・・・

などというくだらない・無責任な戦争論はおいといて、
エルバラダイ氏の講演はというと、これ以上核保有国を増やさないことと、テロリストに核を渡さないこと、そして世界的な核武装解除、の三つに尽きるわけです。

でも、ご本人の意に反して問題がありますね。例えば核保有国を増やさないと言いながら、原子力発電所は多くの国が必要としはじめ、それに応じて先進国はビジネスという観点も含めてそれを押し進めています。このことはテロリストにとっては好都合でしょう。いかにIAEAが強固に査察をしようとも、人間のやることには穴がありますからね。イタチごっこにならないことを・・・そして買収されないことを・・・

続く

--------- ムハンマド・エルバラダイ講演(3)----------

そう考えると、私たちはこの死の兵器を保有する国がこれ以上あってはならないのだということを―完全に―確信しなければなりません。
私たちは、核兵器保有国が核武装解除へ向かって着実な足取りを辿っていることを確認しなければなりません。
そして私たちは、核による紛争抑制という手段によらない新たな安全保障システムを作らなければなりません。

これらの目標は実際に私たちの手が届くところにあるのでしょうか?私の答えはYesです。しかし緊急に次の3ステップが必要です。
まず始めに、核物質と放射性物質を過激派グループの手から隔離することです。2001年にIAEAと国際社会は、これらの物質の安全管理体制を強化する全世界でのキャンペーンをスタートさせました。核施設を守ること。強烈な放射線源を守ること。規制のための立法機関を教育すること。国境での監視。この四年間で私たちは目標の50%を達成しました。しかしこれはまだ十分速かったとは言えません、なぜなら私たちは時間との競争をしているからです。

二番目に、兵器への転用が可能な核物質の製造工程を厳しくコントロールすることです。現行のシステムでは、すべての国は民間利用のために、この製造工程を習得する権利を有しています。しかしそのために、各国が核爆弾を作るためのもっとも難しい工程を習得してしまったのです。

これを克服するために、私が望むのはこれらの工程を多国間によって行うことです。そうすることにより、どの国も単独で製造工程をコントロールできなくなります。私のプランはまずIAEAのコントロール下で燃料バンクを創設することです。それによってあらゆる国が、真に平和的核利用のためにのみ燃料を手にすることができることになるのです。この燃料の安全保障は、各国による独自の核燃料サイクル開発の動機と正当性を否定することになります。私たちは新たな国際施設の産声に同意することができ、そして多国間による量産、燃料の製造、廃棄、再処理の仕事を始めることができるのです。

私たちはまた、監査システムも強化しなければなりません。IAEAの検査というのは、核増殖の封じ込めのための活動の信条と信念なのです。これを効果的にするには、専門家、情報、先進技術、そして資金が必要であることはいうまでもありません。そして私たちの検査に従わない場合、国連安全保障会議の後ろ盾がなくてはなりません。

三番目に、武装解除を加速することです。いまだに8~9カ国が核兵器を保有しています。冷戦終結後15年以上が経過しているにもかかわらず、主要な核保有国が核貯蔵施設との緊急警戒体制をとっていることは理解できません。それは、核攻撃を受けること予測された場合に、その国の指導者はわずか30分以内に報復攻撃を決定することができるものであり、わずか数分で世界を破滅させる危険を持ったものなのです。

これらが直ちに実施するべき3つの強固なステップであると私は確信します。核物質を守り監査を強化すること、核燃料サイクルをコントロールすること、武装解除を進めることです。

でも、これだけでは十分でありません。どうやって、奴隷制度や集団殺戮のように、核兵器がタブーであり歴史的に不合理なものであると世界中に認識されるようにするか?という難しい問題もあります。

To that end, we must ensure – absolutely – that no more countries acquire these deadly weapons.
We must see to it that nuclear-weapon states take concrete steps towards nuclear disarmament.
And we must put in place a security system that does not rely on nuclear deterrence.

Are these goals realistic and within reach? I do believe they are. But then three steps are urgently required.

First, keep nuclear and radiological material out of the hands of extremist groups. In 2001, the IAEA together with the international community launched a worldwide campaign to enhance the security of such material. Protecting nuclear facilities. Securing powerful radioactive sources. Training law enforcement officials. Monitoring border crossings. In four years, we have completed perhaps 50 per cent of the work. But this is not fast enough, because we are in a race against time.

Second, tighten control over the operations for producing the nuclear material that could be used in weapons. Under the current system, any country has the right to master these operations for civilian uses. But in doing so, it also masters the most difficult steps in making a nuclear bomb.
To overcome this, I am hoping that we can make these operations multinational – so that no one country can have exclusive control over any such operation. My plan is to begin by setting up a reserve fuel bank, under IAEA control, so that every country will be assured that it will get the fuel needed for its bona fide peaceful nuclear activities. This assurance of supply will remove the incentive – and the justification – for each country to develop its own fuel cycle. We should then be able to agree on a moratorium on new national facilities, and to begin work on multinational arrangements for enrichment, fuel production, waste disposal and reprocessing.
We must also strengthen the verification system. IAEA inspections are the heart and soul of the nuclear non-proliferation regime. To be effective, it is essential that we are provided with the necessary authority, information, advanced technology, and resources. And our inspections must be backed by the UN Security Council, to be called on in cases of non-compliance.

Third, accelerate disarmament efforts. We still have eight or nine countries who possess nuclear weapons. We still have
27,000 warheads in existence. I believe this is 27,000 too many.
A good start would be if the nuclear-weapon states reduced the strategic role given to these weapons. More than 15 years after the end of the Cold War, it is incomprehensible to many that the major nuclear-weapon states operate with their arsenals on hair-trigger alert – such that, in the case of a possible launch of a nuclear attack, their leaders could have only 30 minutes to decide whether to retaliate, risking the devastation of entire nations in a matter of minutes.

These are three concrete steps that, I believe, can readily be taken. Protect the material and strengthen verification. Control the fuel cycle. Accelerate disarmament efforts.

But that is not enough. The hard part is: how do we create an environment in which nuclear weapons – like slavery or genocide – are regarded as a taboo and a historical anomaly?

 

 


IAEA ムハンマド・エルバラダイ講演を読む(2)

エルバラダイ講演の二回目です

さてや「革命」と「テロ」ですが。

先日、連合赤軍の永田洋子が獄死したそうですが、彼らは革命家を自称していました。そして世界同時プロレタリアート革命を画策していたというわけですが、結局のところこれはとんだ「妄想」に過ぎなかったわけです。

連合赤軍は、この「妄想」のために多くの同士を粛清し、かつまた手製爆弾によるテロを行ったのでした。 そう、「革命家」に「爆弾」そして「宗教家」に「毒ガス」は危険きわまりないことを私たちは直近の歴史で学んだのでした。

そして現代では、「テロリスト」に「核」という脅威に世界が晒されている、というわけです。

エルバラダイ氏のおっしゃるように、冷戦の終結した今、国家間の紛争で核が使われる可能性はほとんどありません。たとえ北朝鮮といえども。よって、各国が備蓄している核弾頭というのは、ほぼ無用の産物となっています。無用どころか、とてつもない無駄メシ喰いというべきでしょう。捨てることはできない、分解するのは金がかかりすぎる、放射能を出す。まさに三拍子そろった厄介者です。実際、テロリストたちもこんなものは要らないのではないでしょうか。

むしろずさんな管理下にある「核物質」のほうに・・・

そんなわけで、世界の安全保障はIAEAとエルバラダイ氏の活躍にかかっている、ということなんですが・・・

それから 貧困=紛争の温床 というステレオタイプ、本稿ではお馴染みですが、この貧困の拡大を止めることは核の拡散を防ぐことより容易とは思えません。


続く


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みなさん、
15年前に冷戦が終わり、われわれの多くは新しい世界がひとつになるという希望を得ました。そして世界の秩序は人間の連帯に根ざし、世界の秩序は公平で、解放的でそして意義あるものであると。しかし今日、我々はそのゴールに全く近づいてはいないのです。私たちは東と西の壁を打ち破りました。しかし私たちは北と南-富者と貧者の間に橋をかけることをできずにいます。

私たちの開発支援の実績を見てみましょう。昨年、世界の国々は1兆US$を軍事に支出しました。その一方、8億5000万人が飢えに苦しむ発展途上国に対しての公式な開発支援にはわずかその10%にも満たない金額、800億US$を割り当てただけです。
私の友人James Morrisは世界食料計画の代表で、彼の仕事は飢餓に対する支援です。彼が先日私に言いました。「もし私が世界中の軍事費の1%を手に入れることができれば、世界から飢えて寝ている人をなくすことができます。」
貧困が紛争を生み続けているということに、いまさら驚くべきではありません。この10年間で死んだ1300万人のうち900万人は、貧困の中の貧困と呼ばれるアフリカのサハラ周辺で亡くなったのです。

人間の尊厳と価値についての私たちの取り組み方を考えてみてください。2001年の米国テロ攻撃の直後、私たちは深い悲しみと同時に、この極悪の犯罪に対する強い怒りを感じましたし、それは当たり前のことでした。しかし、1998年からのコンゴ民主共和国の内戦で380万人の命が失われたことに対して、今現在多くの人々は無関心なのです。
私たちの価値観が歪んでいて、取り組み姿勢が公平でない、と結論づけるべきなのでしょうか?

みなさん、
私たちは巨大な絵を心に刻むことによって、核の不拡大と軍備解除のための地図が書き換えられていることを理解できると思います。
この地図の書き換えは大きな三つの要因によります。

・核物質および核関連機器を扱う巨大なブラックマーケットの出現
・核兵器および核関連精密技術の拡散
・そして核武装解除の遅れです。

今日、グローバリゼーションによって私たちはともに密接な関係になっています。私たちがほんの数個であっても安全を脅かすものを放置すれば、それはすぐに世界に波及する脅威となるのです。

同じように、先端の科学と技術が拡散している今、どこかの国が核兵器に依存する道を選ぶことは、ほかの多くの国々もまたこれらを手に入れようとし、私たちを危険にさらし続けるのです。
もし自己の破滅を望まないのならば、核兵器は私たちの総意の中に存在する余地はなく、安全保障のために果たす役割もない、と私は確信しています。

そう考えると、私たちはこの死の兵器を保有する国がこれ以上あってはならないのだということを―完全に―確信しなければなりません。
私たちは、核兵器保有国が核武装解除へ向かって着実な足取りを辿っていることを確認しなければなりません。
そして私たちは、核による紛争抑制という手段によらない新たな安全保障システムを作らなければなりません。

Ladies and Gentlemen.
Fifteen years ago, when the Cold War ended, many of us hoped for a new world order to emerge. A world order rooted in human solidarity – a world order that would be equitable, inclusive and effective.
But today we are nowhere near that goal. We may have torn down the walls between East and West, but we have yet to build the bridges between North and South – the rich and the poor.

Consider our development aid record. Last year, the nations of the world spent over $1 trillion on armaments. But we contributed less than 10 per cent of that amount – a mere $80 billion – as official development assistance to the developing parts of the world, where 850 million people suffer from hunger.
My friend James Morris heads the World Food Programme, whose task it is to feed the hungry. He recently told me, "If I could have just 1 per cent of the money spent on global armaments, no one in this world would go to bed hungry."

It should not be a surprise then that poverty continues to breed conflict. Of the 13 million deaths due to armed conflict in the last ten years, 9 million occurred in sub-Saharan Africa, where the poorest of the poor live.
Consider also our approach to the sanctity and value of human life. In the aftermath of the September 2001 terrorist attacks in the United States, we all grieved deeply, and expressed outrage at this heinous crime – and rightly so. But many people today are unaware that, as the result of civil war in the Democratic Republic of the Congo, 3.8 million people have lost their lives since 1998.
Are we to conclude that our priorities are skewed, and our approaches uneven?


Ladies and Gentlemen. With this 'big picture' in mind, we can better understand the changing landscape in nuclear non-proliferation and disarmament.
There are three main features to this changing landscape: the emergence of an extensive black market in nuclear material and equipment; the proliferation of nuclear weapons and sensitive nuclear technology; and the stagnation in nuclear disarmament.


Today, with globalization bringing us ever closer together, if we choose to ignore the insecurities of some, they will soon become the insecurities of all.
Equally, with the spread of advanced science and technology, as long as some of us choose to rely on nuclear weapons, we continue to risk that these same weapons will become increasingly attractive to others.

I have no doubt that, if we hope to escape self-destruction, then nuclear weapons should have no place in our collective conscience, and no role in our security.
To that end, we must ensure – absolutely – that no more countries acquire these deadly weapons.
We must see to it that nuclear-weapon states take concrete steps towards nuclear disarmament.
And we must put in place a security system that does not rely on nuclear deterrence.


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