SSブログ

IAEA ムハンマド・エルバラダイ講演を読む(5)


お粗末、なんともお粗末。

日本国政府と東京電力、そして原子力安全・保安院。

そしてIAEA、お前もか?

福島原発の事故、すでに発生から1ヶ月以上が経過しているのにもかかわらず、収束の見通しがまったく立ちません。

この間に、チェルノブイリ級の放射能拡散があり、シビアリティLevel7となったのは当然なのですが、一部で「拡散した放射性物質の量はチェルノブイリの1/10に過ぎない」などという世迷言を抜かすバカがいるのは本当に困りものです。海に流した汚染水の問題には言及せず、事態をなんとか過小評価しようという姿勢も問題です。

フランスの女性CEOとやらも一体何をしに来たんだかわかりませんが、なによりもショックなのは、IAEAという団体が殆ど機能不全に陥っているらしい、ということでありましょう。

事故発生の一週間後に、IAEAの天野という事務局長が来日したのですが、政府・東電との話し合いの後に行われた記者会見たるや「悲惨」の一言。極めつけは「福島」と「福井」を言い間違えていることでありましょう。

あるいは本当に福井県の出来事と認識していたのでしょうか?

このような「恥さらし」は、今後も滅多に見られるものではないでしょう。まさに末代までの恥。

そのような訳で、IAEAという団体は、世界の原子力愛好家達のスケープゴートであるということが明白になってしまったという、まことにお粗末な顛末であったわけです。

ちなみにIAEAとWHOも結託していて、放射性物質による人的被害については、「少なく少なく見積もる」という暗黙の了解があるとの由。

まさに世界は核の暗闇にある、ということでありましょうか。


ということで、先代の事務局長エルバラダイ氏の講演も、以下さらっと訳してお仕舞いにしたい気分です。

そういった色眼鏡越しに読むせいか、このヌルさたるや噴飯ものですね。

核の平和利用という名目自体がそもそも怪しいのです。そして「核の脅威」を北朝鮮やイランのような反米国家、あるいはテロ組織に一元化してしまい、本当の脅威から人々の目をそらそうとしているようにも感じます。

そもそも本当の「核の脅威」というのは、核分裂生成物、すなわち高レベルの放射線廃棄物、いわゆる「死の灰」、「核のゴミ」の取り扱いの問題であって、これが今の人類の手に負えないことにあるのです。
このゴミが地上に撒き散らされることで、数十年、数百年、数万年という長きにわたって放射線を出し続け、生物に甚大な被害を与える続けることが問題なのです。

エゴイストである白人は、このゴミを地中深くに廃棄して終わりにしようとしています。しかし、このゴミはひたすら溜まり続けます。つまり、この地層処分というのは単に数千年~数万年~数十万年後に問題を先送りにするだけの野蛮な代物なのです。まさに究極の先送りなのです。一体、どこのだれが数千年~数万年後の出来事に責任を持つというのでしょうか?

つまり、世界中の核愛好家達は、せいぜい自身の寿命を数十年、そして組織の寿命も100年かそこらと考えて、その期間をうまく逃げ切ることを考えているのです。そしてその間、できるだけ多くの国家、企業、団体を巻き込んで原子力ビジネスを煽り、うまい汁を吸おうとしているのです。人が何人死のうが、障害児がどれほど生まれようが、そんなことを一顧だにしないのです。そんな数字はIAEAとWHOに圧力をかければ、いくらでも改竄できると思っているのです。

核愛好家の手口の恐ろしさは、国家を取り込んでしまっていることです。

つまり、単独の企業あるいは企業連合体が行うビジネスとして、原子力発電は絶対にペイしないことを彼らは非常に良く理解しているのです。リスクが大きすぎるのです。だから、彼らは原子力ビジネスのリスクを、全て国家に負わせているのです。

エネルギー危機とCO2と地球温暖化を声高に叫び、国家プロジェクトという名目で原子力発電をやらせるのです。

今回の福島で明らかになったことのひとつは、東京電力という企業が犯した失敗の代償を、国が肩代わりする、ということです。そして国が肩代わりするということは、結局われわれ国民が税金で負担する、ということです。なんということか。

世界中の原子力発電ビジネスというのは、みな同様にリスクを国民に分担させているということなのです。それが国家プロジェクトという名目の持つ本当の意味なのです。
そして、核廃棄物についても同様です。こちらはなんと、数万年後の私たちの子孫にリスクを背負わせるということです。

ビジネスの全体像を理解している核愛好家達は、このような構図のもとに無知で強欲な政治家と無恥で傲慢な行政官吏を上手に騙して原子力発電を売り込んでいるのです。
まさに悪魔のビジネス、悪鬼の商法。

私たちは福島県とその海、という高い代償を払い、原子力発電というビジネスの正体を知ることになったということです。できればこのあたりで打ち止めにしなければなりません。

ということで、エルバラダイさんには善良なるエジプト市民として今後もジョン・レノンを歌い続けていただきましょう。

子孫に残す遺産が、「山ほどの核廃棄物」では困るのです。
例えそれが平和の代償であったとしても・・・


(了)

みなさん

私は、ここまで原子力エネルギーの悪用との戦いについて述べてきましたが、つぎにこのエネルギーが、人間に大きな利益をもたらすということを話そうと思います。

IAEAでの私たちの毎日の仕事は、世界中で核および放射線技術が人々の役に立つようにすることです。ベトナムにおいてはIAEAの支援によって開発された、栄養価の高い米の生産をしています。ラテンアメリカでは、核技術が地下水脈のマッピングに使われ、恒久的に水の供給が可能になりました。ガーナでは数千人のガン患者に対して、新型の放射線治療装置が提供されるようになりました。南太平洋では、日本の科学者が核技術を使って気候変動の研究を行っています。インドでは8機の原子力発電所が建設中であり、この成長する国にクリーンな電力を供給することになります-これは世界中で急速に盛り上がっている核エネルギーへの期待の表れです。

これらと、そして他の数千ものプロジェクトはIAEAの理想である「平和のための原子力」の好適な例なのです。

しかし、原子力エネルギーと核技術の使用拡大は、同時に核の安全性と安全保障が最高のレベルで維持されることを必須条件としたのです。

チェルノブイリ事故の後、私たちは世界中で核の安全技術の向上に努めてきました。そして2001年9月のテロ攻撃以降は、核の安全保障に着目した仕事をしてきました。その二つの最前線で私たちは、法的な規範と技術基準に関する国際ネットワークを作り上げたのです。
しかしより明確な出来事があります。数百もの課題、それは世界のさまざまな場所で、世界中のエキスパートたちが、数百もの課題を克服し核に関する活動が、技術的にもセキュリティにおいても安全であることを確証したのです。

私はIAEAで働く2300人の職員を誇りに思います-この同僚たちと私はこの栄誉を分かち合います。その何名かは今日、私とともにこの場にいます。私たちは90の国から来ています。私たちは私たちの仕事に対して多くの異なった視点を持っています。この多様性が私たちの力なのです。
私たちは権力側からの制限を受けています。予算も慎ましいものであり、軍隊を持っているわけでもありません。
しかし私たちはその強い信念で武装し、権力の側に対して真実を訴え続けます。独立性と客観性にもとづいて、その義務を遂行し続けて行きます。

ノーベル平和賞は、私たちの安全保障と開発のための奮闘と辛抱に対する、力強いメッセージです。永続的な平和というのは、単独に達成されるものではなく、環境やプロセス責務も含めたものなのです。

みなさん
今日私が描いた構図は少し奇異なものかもしれませんが、最後に私の持つ希望について述べたいと思います。
私が希望を持っているのは、グローバリゼーションのポジティブな面で、それは国家や人々が政治的、経済的、そして社会的に相互依存し始めていて、そのことが戦争という選択肢を選び難くしていることです。

ヨーロッパ連合の25カ国のメンバーは、経済的、社会-政治的依存が進展するにつれ、武力による紛争解決というものには合理性がほとんどないと考え始めています。同様の事態が、ヨーロッパと中央アジア、そして北米の55カ国からなる安全保障組織の間でも現れています。力が正義となって弱者を守っているような地域においても、同様の多国間同意と国際協力によってこのようなモデルが進展しうるでしょうか?

私が希望を持っているのは、市民社会というものがより良く知られ、より魅力的なものになっていることです。彼らは、多様性と寛容さとそして平等を基本とした民主的な社会を作ろう-そういう変革への圧力を政府に対してかけます。彼らは創造的な答えを提示します。自意識を強くし、資金を提供し、市民意識を地域から社会全体へと移植しようと働きかけます。人間を家族として近づけようとします。

「汝は汝の兄弟の守護者であるのか?」という最も古くから繰り返された問いに対して、私たちは今、過去のどんな時代より、より肯定的な答えができるでしょう。
海を越えて人々を隣人とみなすには、新たな物の見方と心の変化が求められるのです。

最後に私は、私の子供たちとその世代の人々の中に希望を見出すのです。

私は19歳のときに始めて海外に行きました。私の子供たちは私よりも幾分恵まれています。彼らが他国の文化に出会ったのは、まだ胎児のころです。そして多様な文化の中で育ちました。そして確実に言えるのは、私の息子と娘は、肌の色や人種、国籍を気に留めることがないということです。彼らはその友達である、ノリコ、マフポ、ジャスティン、サウロ、ハッサムの間には何の違いも感じることはないのです。ただ仲の良い人間であり良い友だということです。
グローバリゼーション、それは旅やメディアやコミュニケーションを通じたものでありますが、それは私の子供たちとその仲間がそうである様に、私たちがお互いを同じ人間と認め合うことを助けるものなのです。

閣下、国王陛下、紳士淑女の皆様

想像してごらん、国家が、戦争のために使うのと同じお金を開発に振り向けたならどうなるうのかを
想像してごらん、世界中の人々が自由と尊厳の中で生きて行けることを
想像してごらん、ダルフールとバンクーバーで死んでゆく子供に対して世界が同じ涙を流すことを
想像してごらん、世界が紛争を爆弾や銃弾ではなく外交と対話によって解決することを
想像してごらん、核兵器が博物館の遺物だけになることを
想像してごらん、私たちが子孫に残せる遺産は何かを?
想像してごらん、この世界は私たちの英断の中にあるということを


Ladies and Gentlemen.

I have talked about our efforts to combat the misuse of nuclear energy. Let me now tell you how this very same energy is used for the benefit of humankind.
At the IAEA, we work daily on every continent to put nuclear and radiation techniques in the service of humankind. In Vietnam, farmers plant rice with greater nutritional value that was developed with IAEA assistance. Throughout Latin America, nuclear technology is being used to map underground aquifers, so that water supplies can be managed sustainably. In Ghana, a new radiotherapy machine is offering cancer treatment to thousands of patients. In the South Pacific, Japanese scientists are using nuclear techniques to study climate change. In India, eight new nuclear plants are under construction, to provide clean electricity for a growing nation – a case in point of the rising expectation for a surge in the use of nuclear energy worldwide.

These projects, and a thousand others, exemplify the IAEA ideal: Atoms for Peace. 
But the expanding use of nuclear energy and technology also makes it crucial that nuclear safety and security are maintained at the highest level. 

Since the Chernobyl accident, we have worked all over the globe to raise nuclear safety performance. And since the September 2001 terrorist attacks, we have worked with even greater intensity on nuclear security. On both fronts, we have built an international network of legal norms and performance standards. But our most tangible impact has been on the ground. Hundreds of missions, in every part of the world, with international experts making sure nuclear activities are safe and secure.

I am very proud of the 2,300 hard working men and women that make up the IAEA staff – the colleagues with whom I share this honour. Some of them are here with me today. We come from over 90 countries. We bring many different perspectives to our work. Our diversity is our strength. 
We are limited in our authority. We have a very modest budget. And we have no armies. 
But armed with the strength of our convictions, we will continue to speak truth to power. And we will continue to carry out our mandate with independence and objectivity.
The Nobel Peace Prize is a powerful message for us – to endure in our efforts to work for security and development. A durable peace is not a single achievement, but an environment, a process and a commitment.

Ladies and Gentlemen.

The picture I have painted today may have seemed somewhat grim. Let me conclude by telling you why I have hope.
I have hope because the positive aspects of globalization are enabling nations and peoples to become politically, economically and socially interdependent, making war an increasingly unacceptable option. 

Among the 25 members of the European Union, the degree of economic and socio-political dependencies has made the prospect of the use of force to resolve differences almost absurd. The same is emerging with regard to the Organization for Security and Co-operation in Europe, with some 55 member countries from Europe, Central Asia and North America. Could these models be expanded to a world model, through the same creative multilateral engagement and active international cooperation, where the strong are just and the weak secure?
I have hope because civil society is becoming better informed and more engaged. They are pressing their governments for change – to create democratic societies based on diversity, tolerance and equality. They are proposing creative solutions. They are raising awareness, donating funds, working to transform civic spirit from the local to the global. Working to bring the human family closer together.

We now have the opportunity, more than at any time before, to give an affirmative answer to one of the oldest questions of all time: "Am I my brother's keeper?"
What is required is a new mindset and a change of heart, to be able to see the person across the ocean as our neighbour. 

Finally, I have hope because of what I see in my children, and some of their generation. 
I took my first trip abroad at the age of 19. My children were even more fortunate than I. They had their first exposure to foreign culture as infants, and they were raised in a multicultural environment. And I can say absolutely that my son and daughter are oblivious to colour and race and nationality. They see no difference between their friends Noriko, Mafupo, Justin, Saulo and Hussam; to them, they are only fellow human beings and good friends. 
Globalization, through travel, media and communication, can also help us – as it has with my children and many of their peers – to see each other simply as human beings.

Your Majesties, Your Royal Highness, Ladies and Gentlemen.

Imagine what would happen if the nations of the world spent as much on development as on building the machines of war. Imagine a world where every human being would live in freedom and dignity. Imagine a world in which we would shed the same tears when a child dies in Darfur or Vancouver. Imagine a world where we would settle our differences through diplomacy and dialogue and not through bombs or bullets. Imagine if the only nuclear weapons remaining were the relics in our museums. Imagine the legacy we could leave to our children.
Imagine that such a world is within our grasp.



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。