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2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(3) [指導者]

 
さて、エレン・ジョンソン大統領講演の第三回です。
 
本稿の初めのほうで、なかなかノーベル委員会のHPでレクチャービデオが流されなかったので、なんでだろう??と思っていたのですが・・・
 
はは~ん。そういうことか・・・
 
と思わせるような一言が、ここの出だしに書かれていますね。

でもね、まさか、そんな理由でビデオを流さないなんて、あるはずもない。
ノーベル委員会がまさか女性に対してそのような差別的なことをするはずはない。
 
なにせ北欧ノルウェーといえば、先進国ですからね・・・
 と、でも待てよ。
 
ノルウェーは王様がいる国だったな。 
 
いまどき王様様がいる国なんて・・・
でもヨーロッパには結構たくさんありますね。
 
イギリス・オランダ・スペイン・ベルギー・・・
 
世界を見渡しても、UAEなんてのは王様の国の集まりのようなものだし、サウジアラビアもイエメンもそんなようなものか・・・
 
そして、名目上は「大統領」ですけど、その実態は王様だったりと、
王様と王族が支配する国家というのは、世界には案外多いようです。 

 

一方、わが日本はどういう国かというと、
王様どころか皇帝様のいる国でありましたね。これは、ちょっと凄いかも。
 
そも皇帝と王様はどっちが偉いのか??これはちょっと調べてみましょう。次回までに。
 
ともかく、何が言いたいかと言うと、
「日本も早めに皇室典範を書きなおして、女性天皇もアリ」ということにしないと、
エレン・ジョンソン大統領からきついお叱りをうけるのではないですか?
ということなのであります。
 
 
まあ、日本と言えば男性より女性のほうが強いのが一般的でありますから、
いまさら女帝までは必要ないかもしれませんが。 

 

ちょっと講演内容とずれましたので、少し本分の内容について。

  
ここで彼女の述べている事、つまり女性に対する残虐行為については、ワンガリ・マータイさんも若干述べられていました。
しかし、ケニヤとリベリアという、同じアフリカ大陸であっても、その程度の差は激しいようです。
 
アフリカと言うと、いまだ呪術と民俗信仰のイメージが強くて、どうやら我々はよく神秘という色眼鏡でアフリカを見すぎているようであります。 
  
それともう一つ、アフリカと言うと「内戦」のイメージが強いですね。 
 
以前、テレビ番組で日本人傭兵が「我々の職場は主にアフリカですよ。もうほとんどバブル状態ですから」 と言ってました。
 
アンゴラ・ルワンダ・ブルンジ・コンゴ・・・
 
そうそう、ICBLの ジョディ・ウイリアムさんもその様なことをおっしゃってましたね。
まあ、彼女には地雷撲滅に加えて内戦撲滅キャンペーンも主宰して欲しいものでありますが、それはあまりに難しすぎるのかな・・・・
 
そして内戦あるところ、すなわち弱者への虐待あり。 
 
つまり女性に対する残虐行為は、アフリカ独特の信仰や因習と、長年にわたって続く内戦とが相まって行われているようなイメージを抱くわけです。
 
しかし、このようなイメージを抱くだけでは本当の問題解決には至らないでしょう。
むしろイメージを語るだけではかえって問題解決からは遠ざかっていくことになります。 
 
本当にやるべきは、この正しい理由、原因と、その被害実態を明らかにすることでありましょう。 
 
利口そうな振りをして言ってみると、
 
内戦を主導しているのは世界中の「死の商人」たちである。そして、内戦をさらに激化させる、あるいは和平を阻害するために、その手下共は影に隠れて弱い人々に暴行を加え、売り飛ばし、喰い物にしているのだ。
 
こんなような「絵」は簡単に書けます。
 
でもこれまた、それこそイメージを語っているだけ。
 
それでは解決には全く繋がらないのであります・・・・ 
 
アフリカ内戦の真実は何か?? 
 
近頃は、日本のメディアもそうですが、世界のメディアもそのような「真実」を伝えることができなくなっているようでありますな・・・・ 
 

(続く) 
 
 
====エレンジョンソンサーリーフ講演(3)=====
 
 
国王陛下、そして私の姉妹、兄弟達へ

ノーベル委員会は、私たち三人の受賞者が女達のために話すことを認めませんでした。
しかし、女達に向けて話す舞台を与えてくれました。それはまた世界中のあらゆる国籍、肌の色、宗教、社会的地位をもった女達に対しての舞台です。
 
残虐な暴力のもたらす広範囲にわたる破壊を目の当たりにしてきた私の姉妹達よ、私はあなたたちに私の栄誉とそしてこの賞をささげます。

近年、コンゴ民主共和国、ルワンダ、シエラレオネ、ソマリア、旧ユーゴスラビアそして私の国リベリアで発生した狂気は破壊行動をもたらしました。そして、報道すらされませんでしたが、女性に向けて信じ難い残虐な行為が行われたことが明らかになっています。

国際裁判所が「強姦が戦争の武器として使われるならば、それは人道に対する犯罪である」と明快に宣言していたにもかかわらず、違法な強姦が続いていたのです。この20年というもの、私の多くの妹達と娘達が、あらゆる年齢の女達が、想像もできないほど残虐な暴行を受けてきました、そして悪辣で良識を否定する行為が多くの命を奪ってきたのです。
 
女達、娘達は、その体を切り刻まれ、その希望を砕かれるという形で、国内外での武力紛争へのいわれのない代償を支払ったのです。私達が支払った「金」は、血と涙と尊厳でした。

けれども、女性の権利を守る必要性は、ただ戦争という限られた場所に限られるわけではありません。そしてまた、武力紛争や暴力によってのみ、この権利に対する脅威が生まれてくるわけではありません。
 
女性教育は重要な投資ではなく無用な道楽である、などと最近は言われなくなってきましたが、それでもなお、資金と人材は十分ではありません。
女はしばしば、その能力が十分なものであっても、学術追求の場においては失望にかられているのです。

私たちは今日という日を祝福するのと同時に、直面する膨大な課題があることも忘れずにいましょう。
世界中のあまりにも多くの場所で、女性に対する犯罪が報告されずにいます。そしてまた、女性を保護するため法律も発効されずにいます。

この21世紀に、1年間で百万人もの人間、そのほとんどが女や子供ですよ、を商取引するような国があってはなりません。
女や子供が暴力をふるわれたり、暴行を受けたりするような国があってはなりません。
リーダーシップは男にだけ備わっている、なんてことを信じている国があってはならないのです。
 
 

Your Majesties, my sisters and my brothers:
 
The Nobel Committee cannot license us three Laureates to speak for women. But it has provided us a platform from which to speak to women, women around the globe,. whatever their nationality, their color, their religion, or their station in life. It is you, my sisters, and especially those who have seen the devastation that merciless violence can bring, to whom I dedicate my remarks, and this Prize.
 
There is no doubt that the madness that wrought untold destruction in recent years in the Democratic Republic of Congo, in Rwanda, in Sierra Leone, in Sudan, in Somalia, in the former Yugoslavia, and in my own Liberia, found its expression in unprecedented levels of cruelty directed against women.
 
Although international tribunals have correctly declared that rape, used as a weapon of war, is a crime against humanity, rapes in times of lawlessness continue unabated. The number of our sisters and daughters of all ages brutally defiled over the past two decades staggers the imagination, and the number of lives devastated by such evil defies comprehension.
 
Through the mutilation of our bodies and the destruction of our ambitions, women and girls have disproportionately paid the price of domestic and international armed conflict. We have paid in the currencies of blood, of tears, and of dignity.
 
However, the need to defend the rights of women is not limited to the battlefield, and the threats to those rights do not emanate only from armed conflict (violence). Girls’ education, seen far too often as an unnecessary indulgence rather than the key investment it is, is still under-funded and under-staffed. Too often girls are discouraged from pursuing an academic training, no matter how promising they may be.
 
As we celebrate today, we are mindful of the enormous challenges that we still face. In too many parts of the world, crimes against women are still under-reported, and the laws protecting women are under-enforced. In this 21st century, surely there is no place for human trafficking that victimizes almost a million people , mostly girls and women, each year. Surely there is no place for girls and women to be beaten and abused. Surely there is no place for a continuing belief that leadership qualities belong to only one gender.

 

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