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2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(5) [指導者]


 さて、いよいよお話が佳境に入るか・・・
 
とおもったらば、なんちゅうことか、終わってしまいましたね・・・・
 
なんといいますか・・・・
 
リベリアの大統領選挙では、かなり激しい応酬があったようですが、もう少しディテールを知りたいと・・
 
それに、国連人権宣言を引用されていますが、これもいかがなものかと・・・ 
 
 まあ、これらは立場上これ以上踏み込めないというお話なんでしょうね。
 
何せ国家元首でありますからね。ノーベル平和賞の場で、政敵を批判するのは反則でしょうし、あるいは「宣言」や「決議」をするだけで、実質的に無能力な国連ではありますが、これを表だって批判するわけにもいかないのでしょう。
 
それに、リベリア、まだまだ援助が必要でしょうしね。アメリカさんには嫌われたくないですものね。 
 
いわば、このあたりが、民間人と政治家との差ということでありましょう。 
 
でも頑張ってください、大統領閣下!  
 
というわけで、あっさりサーリーフ女史の講演は終わってしまいました。
 
そして、我々下世話な庶民の聞きたい次元の低いお話は、どうやら彼女の口から語られることはないのでしょう、当分の間は。
 
でも、どうやら続く、シスター・ゴヴォウェーさんのお話のほうが面白そうですので、そちらに期待することにいたしましょう。
 
 
(1/3了)
 
 
=======エレン・ジョンソン・サーリーフ講演(5)======== 
 
閣下、各国大使の皆さん、兄弟姉妹たち、私はこの場から、リベリアとリベリア国民に言いたい。

11月8日、私たちはリベリアを安定で民主的な国家へと統合的に変革するための、二度目の、自由で公平な大統領選挙を終えることができました。リベリア国民はこの私に、次の6年間大統領の任につけるという大いなる栄誉を与え、私たちが2006年から進めている基盤の建設を認めたのです。
何名もの候補者の間で行われた選挙戦は激しいものでした。その過程は挑発的なものでもあり、個別のそして集団での事件、それは平和的ではなく、国として認められないものでもありました。だから私は、今日この場所で、傷と失われた命への悲しみを心に抱きつつ、ついこの間のこの経験が、私たちの国家をより強くしてくれることを望むのです。

リベリアの絶え間ない発展は、合法的ルールにもとづく、人および民主化組織への投資、という政策およびプログラムによって進められてきました。最も大事なことは、彼らが歴史の試練に耐えなければならないことです。彼らは、誰か一人のリーダーあるいは一つの政党に頼ってはならないのです。私たちは、反対者の声にも敬意と地位を与えねばなりません。彼らは、私たちの開かれた社会においては敗北者ではなく、むしろ政府がより強い責務を持つための重要な要素なのです

私たちは、その政治活動を通じて、若い世代の人々が、かれらの我慢の限界を超えた生活を、改善するよう求め、泣き叫ぶ声を聞きました。紛争と略奪の数年間で失われた時間と機会を、取り戻したいというのです。よりよい教育、役に立つスキル、そして仕事を望んだのです。彼らの国を再建することの役に立ちたいと望んだのです。彼らは彼らの声を見つけ、そして私たちはその声を聞いたのです。

世界中のいわゆる民主化を進めている国々では、とくにアフリカと中東の国々では、人権と社会正義を求める戦いというものが、実に困難な旅路であることを思い知らされています。そのためには、私たちの声が、非常に多くの声が必要なのです。私たちの犠牲を分かち合う事が、私たちの求める正義を実現するための原動力となるのです。

各国大使、紳士淑女のみなさん

いまからおよそ63年前、国連総会において世界人権宣言が採択されました。
この文書は、凄惨な世界大戦という恐怖の中から生まれた、時代の遺産であり、今日のわれわれにとって非常に重大なものを含んでいます。

それは世界共通の宣言です。それは、人間の権利は、ただ人間として生まれたことだけで得られる、と説きます。これらの権利は、政府によって与えられるものではないし、また政府の判断によって奪われるものでもないと。
それは法的な宣言であって、好意的な熱望の羅列ではありません。
それは、国家がその市民をどう扱おうとも、彼らがその所有するあらゆる権利と自由を見守り支持することのために、その国家に制限を与えるのです。

今日、三人の女性に世界でも最高の平和賞が贈られるという、この特別な日は、決して過ぎゆく歴史の一幕ではありません。この出来事は、本物で永続的な平和というものを求めて、私たちが続ける終わりない行進のマイルストーンであると見なければなりません。

最後に、この偉大な栄誉を与えてくださったノルウェーノーベル委員会への感謝を繰り返させていただきます。そして、平和と人間の尊厳への貢献を仕事とし、今日ここにお集まりいただいた方々への心から感謝を表し、終わりとさせていただきます。

ありがとう、そして神の御加護のあらんことを。
 
 
 Your Excellencies, brothers and sisters:
 
From this global platform, I want to speak for a moment of Liberia and to Liberians.
On November 8th, we concluded our second successive free and fair presidential and legislative elections, consolidating Liberia’s transformation into a stable democratic nation. The Liberian people did me the great honor of re-electing me as their President to serve for another six-year term, allowing me to build on the foundations we started in 2006.
 
The electoral battle was hard-fought among several contenders, requiring a run-off contest. The process was not without its challenges, and a single and regrettable incident marred an otherwise peaceful and celebrated national achievement. As I stand here today, with sadness in my heart for the injured and the life lost, I truly hope that our nation will become stronger from our recent experience.
 
Liberia’s continued progress depends on policies and programs that invest in people and strengthen democratic institutions, while remaining grounded in the rule of law. Most importantly, they must stand the test of time. They must not be dependent on any one leader or any one political party. We must build space and respect for opposition voices; they are not the losers in our open society, but an essential component to strengthened accountability in government.
 
Throughout our political campaign, we heard the cry of our young population that they are impatient for their lives to improve. They want to make up for the time and opportunities lost during years of conflict and deprivation. They want better education, useful skills and jobs. They want to contribute to the rebuilding of their country. They have found their voices, and we have heard them.
 
As nations around the world, particularly in Africa and the Middle East, transition to representative democracy, we are reminded that the struggle for human rights and social justice is a difficult journey. It requires our voices, many voices. Our shared sacrifices are essential to achieve the justice that we seek.
 
Your Excellencies, Ladies and Gentlemen:
 
It was exactly 63 years ago today that the United Nations General Assembly adopted the Universal Declaration of Human Rights. That document, the legacy of a generation that had just emerged from the horrors of a devastating World War, remains of great significance to us today.
It is a Declaration that is universal. It speaks of rights that all humans have simply by virtue of being human. These rights are not given to us by governments, which might revoke them at their pleasure. 
 
It is a Declaration that is legal, not a list of benevolent aspirations. It obligates States, even in their treatment of their own citizens, to observe, and to uphold, those universal rights and freedoms that belong to us all.
 
Today’s decoration of three women with the highest universal Peace Prize must not be a passing historic moment. We must look upon this event as a milestone in the inexorable march toward the achievement of a genuine and lasting peace.
 
Let me close by reiterating my deepest gratitude to the Norwegian Nobel Committee for this great honor, and I express my profound thanks to all of you gathered here for your work in the service of peace and human dignity.
 
Thank you. And may God bless you.
 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(4) [指導者]

 
 皇帝と王様はどちらが上か?というとこれはどうやら皇帝様のほうが圧倒的に上、ということのようです。
 
歴史上の「皇帝」というと、
 
中国なら秦の始皇帝の秦から始まって清のラストエンペラー溥儀まで。
ヨーロッパならシーザーのローマ帝国―東ローマ帝国―神聖ローマ帝国となって、最後はハプスブルグ家で終わる。
ちょっとラインが異なってフランスでナポレオンが皇帝となり、その後失脚―後にナポレオン三世(これは怪しいけど)で終わる
 
後は南米のマヤ・アステカ・インカ・・・なんかも皇帝が存在したっぽいですが、これは王様のレベルかな??でスペイン人に滅亡させられてしまう。
 
そうして、あとは日本の天皇、となりましょうか。
 
つまりは「帝国」とよ呼ばれる超大国の国家元首で、世襲制の人を皇帝というわけですから、王侯諸貴族などは足元にひれ伏すのみ・・
 
というわけで、よくよく考えるとみると、わが日本の天皇は、いまや地上に残る最後の皇帝と言えるのではないか?? 
 
一般的な認識としては、他国との儀礼的意味合いから王様と同格、なんでしょうけど。  
 
北朝鮮なんかも、世襲制であることと、横暴さと傲慢さと愚鈍さが突出していることなどからチャンピオン級の皇帝と言えそうです。でも聞くところによると、北朝鮮の経済規模は沖縄県と同等、ということなので、とてもとても帝国とは言えません・・・・
 
ということで The last Emperor (symbolic) は日本の天皇ということで決まり? 
 
否、大英帝国の末裔がいましたっけ・・・
皇女とは自称してないし、家庭問題がありますけど・・・ 
 
 
さて本題に戻りまして、 サーリーフ女史の講演も徐々に熱を帯びてきました。
 
ジェンダーというのも一時期流行りましたけど、未発達な国や社会において女性の地位といものは低く抑えられている、というのは往往しばし見られることです。 
 
でも考えてみると、未発達な社会というのは、いったい何が未発達なんだろうか?
 
もちろん経済というのはその代表なんですが、今の時代、国のインフラ整備などにまとまった資本を投入することができれば、相当な勢いでの近代化・発達は見込めるわけです。
タイ・ベトナムなんかは好例でしょうか。 
 
つまり現代においては、適切な投資とテクノロジーを投入すれば、低開発国を国家レベルで改善できて、1等国とは行かないまでも2等国・3等国までに仕立て上げることは、それほど難しくない。のかもしれません
 
このような楽観的シナリオで考えると、女性の地位向上という問題が、低開発国ゆえに存在するということはおかしな話しです。 
 
まあそのようなことを考えつつ、さらに読み進めて行くことにしませう・・・
 
続く 
  
 
========エレン・ジョンソン・サーリーフ講演======== 

この21世紀、年間で百万人もの人間、そのほとんどが女や子供ですよ、を商取引するような国があってはなりません。女や子供が暴力をふるわれたり暴行を受けたりするような国があってはなりません。リーダーシップが男性にだけ備わっている、なんてことを信じている国があってはならないのです。

しかし、希望と楽観の芽はあります。進歩と変化の兆しが見えるのです。世界中で、ゆるやかにではありますが、国際法と人権に対する敬意が、学校や裁判所そして市場における暗闇の一角を照らし始めているのです。男や女が言葉にできないほどの暴行を受けていた密室の窓が開き始め、そして光が射し始めたのです。一時的なものとはいえ、未熟な自由と言う大地に民主主義が根を張り始めたのです。

幕が開けるように、暗闇に日が射し込むように、いままで見えなかったものが見え始めました。テクノロジーが私たちの世界を、一つの繋がりあった隣人へと変えたのです。一つの場所での出来事をすべての街角で見ることができるようになり、そして平和と民主主義、それに伴のう社会正義と公平さを、全ての人々に広めるまたとない機会がやってきたのです。

今、この地球上で日々を生きる女達は、そして男達は声を発する勇気を持ち始めました。数千もの言語で、大きく、強く、「もうたくさんだ」と。
彼らは、心ない暴力を排除し、民主主義の、開かれた社会の、自由の、そして平和の根幹を守っているのです。

だから私は、妹達や弟達に発破をかけています。恐れるな。少数派であっても不正義を非難することを恐れるな。声が小さくとも平和を探し求めること恐れるな。平和を要求することを恐れるな。

もし私が全世界の少女達と女達に語りかけるとしたなら、私はこの簡単な言葉を伝えたいのです。妹達よ、娘達たちよ、友よ、自分の声をみつけなさいと。

私たちはそれぞれ自分の声を持っています。そして、喜ぶべきはそれぞれが異なった声を持っていることです。私たちのゴールは調和の中にあります。それは平和の希求であり正義の追求です。それは人々の権利を守る砦なのです。

私たちの国リベリアそしてイエメンその他の国で、政治的騒乱が収まったことは、新たに与えられた自由が人々に新たな好機を与えるのであれば、意義のあることでありましょう。私たちは、変化への渇望から生まれたこの新たな秩序が、ともすれば過去の無法な道へといとも簡単に陥ってしまうことを危惧しています。
私たちの声を聞いてもらわねばなりません。声を見つけ出しましょう。声をあげましょう。あなたの声を平和のための声にしましょう!
 
 進む道に失敗はあるでしょう、ですから一晩で世界が変わるわけではありません。でも私たちは、その人生の中で変化というものを見てきましたし、世界は私たち全てに及ぶような変化を続けています。
「倫理の世界の長い曲がり道は、それでも正義の方向へむかうのだ」という、ノーベル賞受賞者マーティン・ルーサー・キングJr.の碑に刻まれた言葉のように。

 
 As we celebrate today, we are mindful of the enormous challenges that we still face. In too many parts of the world, crimes against women are still under-reported, and the laws protecting women are under-enforced. In this 21st century, surely there is no place for human trafficking that victimizes almost a million people , mostly girls and women, each year. Surely there is no place for girls and women to be beaten and abused. Surely there is no place for a continuing belief that leadership qualities belong to only one gender.
 
Yet, there is occasion for optimism and hope. There are good signs of progress and change. Around the world, slowly, international law and an awareness of human rights are illuminating dark corners, in schools, in courts, in the marketplace. The windows of closed chambers where men and women have been unspeakably abused are being opened, and the light is coming in. Democracies, even if tentatively, are taking root in lands unaccustomed to freedom.
 
As curtains are raised and as the sun shines upon dark places, what was previously invisible comes into view. Technology has turned our world into one interconnected neighborhood. What happens in one place is seen in every corner, and there has been no better time for the spread of peace, democracy and their attending social justice and fairness for all.
 
Today, across the globe, women, and also men, from all walks of life are finding the courage to say, loudly and firmly, in a thousand languages, “No more.” They reject mindless violence, and defend the fundamental values of democracy, of an open society, of freedom, and of peace.
So I urge my sisters, and my brothers, not to be afraid. Be not afraid to denounce injustice, though you may be outnumbered. Be not afraid to seek peace, even if your voice may be small. Be not afraid to demand peace.
 
If I might thus speak to girls and women everywhere, I would issue them this simple invitation: My sisters, my daughters, my friends, find your voices!
Each of us has her own voice, and the differences among us are to be celebrated. But our goals are in harmony. They are the pursuit of peace, the pursuit of justice. They are the defense of rights to which all people are entitled.
 
The political struggles that our countries – Liberia, Yemen and others – have gone through will be meaningful only if the new-found freedom opens new opportunities for all. We are well aware that a new order, born of hunger for change, can easily fall back into the lawless ways of the past. We need our voices to be heard. Find your voice! And raise your voice! Let yours be a voice for freedom!

 There will be failures along the way, for the world will not change overnight. But we have seen change in our lifetimes, and the world will continue to change in ways that affect us all. As inscribed on the wall of the memorial to Nobel Laureate Martin Luther King, Jr., “The arc of the moral universe is long, but it bends toward justice.”
 
 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(3) [指導者]

 
さて、エレン・ジョンソン大統領講演の第三回です。
 
本稿の初めのほうで、なかなかノーベル委員会のHPでレクチャービデオが流されなかったので、なんでだろう??と思っていたのですが・・・
 
はは~ん。そういうことか・・・
 
と思わせるような一言が、ここの出だしに書かれていますね。

でもね、まさか、そんな理由でビデオを流さないなんて、あるはずもない。
ノーベル委員会がまさか女性に対してそのような差別的なことをするはずはない。
 
なにせ北欧ノルウェーといえば、先進国ですからね・・・
 と、でも待てよ。
 
ノルウェーは王様がいる国だったな。 
 
いまどき王様様がいる国なんて・・・
でもヨーロッパには結構たくさんありますね。
 
イギリス・オランダ・スペイン・ベルギー・・・
 
世界を見渡しても、UAEなんてのは王様の国の集まりのようなものだし、サウジアラビアもイエメンもそんなようなものか・・・
 
そして、名目上は「大統領」ですけど、その実態は王様だったりと、
王様と王族が支配する国家というのは、世界には案外多いようです。 

 

一方、わが日本はどういう国かというと、
王様どころか皇帝様のいる国でありましたね。これは、ちょっと凄いかも。
 
そも皇帝と王様はどっちが偉いのか??これはちょっと調べてみましょう。次回までに。
 
ともかく、何が言いたいかと言うと、
「日本も早めに皇室典範を書きなおして、女性天皇もアリ」ということにしないと、
エレン・ジョンソン大統領からきついお叱りをうけるのではないですか?
ということなのであります。
 
 
まあ、日本と言えば男性より女性のほうが強いのが一般的でありますから、
いまさら女帝までは必要ないかもしれませんが。 

 

ちょっと講演内容とずれましたので、少し本分の内容について。

  
ここで彼女の述べている事、つまり女性に対する残虐行為については、ワンガリ・マータイさんも若干述べられていました。
しかし、ケニヤとリベリアという、同じアフリカ大陸であっても、その程度の差は激しいようです。
 
アフリカと言うと、いまだ呪術と民俗信仰のイメージが強くて、どうやら我々はよく神秘という色眼鏡でアフリカを見すぎているようであります。 
  
それともう一つ、アフリカと言うと「内戦」のイメージが強いですね。 
 
以前、テレビ番組で日本人傭兵が「我々の職場は主にアフリカですよ。もうほとんどバブル状態ですから」 と言ってました。
 
アンゴラ・ルワンダ・ブルンジ・コンゴ・・・
 
そうそう、ICBLの ジョディ・ウイリアムさんもその様なことをおっしゃってましたね。
まあ、彼女には地雷撲滅に加えて内戦撲滅キャンペーンも主宰して欲しいものでありますが、それはあまりに難しすぎるのかな・・・・
 
そして内戦あるところ、すなわち弱者への虐待あり。 
 
つまり女性に対する残虐行為は、アフリカ独特の信仰や因習と、長年にわたって続く内戦とが相まって行われているようなイメージを抱くわけです。
 
しかし、このようなイメージを抱くだけでは本当の問題解決には至らないでしょう。
むしろイメージを語るだけではかえって問題解決からは遠ざかっていくことになります。 
 
本当にやるべきは、この正しい理由、原因と、その被害実態を明らかにすることでありましょう。 
 
利口そうな振りをして言ってみると、
 
内戦を主導しているのは世界中の「死の商人」たちである。そして、内戦をさらに激化させる、あるいは和平を阻害するために、その手下共は影に隠れて弱い人々に暴行を加え、売り飛ばし、喰い物にしているのだ。
 
こんなような「絵」は簡単に書けます。
 
でもこれまた、それこそイメージを語っているだけ。
 
それでは解決には全く繋がらないのであります・・・・ 
 
アフリカ内戦の真実は何か?? 
 
近頃は、日本のメディアもそうですが、世界のメディアもそのような「真実」を伝えることができなくなっているようでありますな・・・・ 
 

(続く) 
 
 
====エレンジョンソンサーリーフ講演(3)=====
 
 
国王陛下、そして私の姉妹、兄弟達へ

ノーベル委員会は、私たち三人の受賞者が女達のために話すことを認めませんでした。
しかし、女達に向けて話す舞台を与えてくれました。それはまた世界中のあらゆる国籍、肌の色、宗教、社会的地位をもった女達に対しての舞台です。
 
残虐な暴力のもたらす広範囲にわたる破壊を目の当たりにしてきた私の姉妹達よ、私はあなたたちに私の栄誉とそしてこの賞をささげます。

近年、コンゴ民主共和国、ルワンダ、シエラレオネ、ソマリア、旧ユーゴスラビアそして私の国リベリアで発生した狂気は破壊行動をもたらしました。そして、報道すらされませんでしたが、女性に向けて信じ難い残虐な行為が行われたことが明らかになっています。

国際裁判所が「強姦が戦争の武器として使われるならば、それは人道に対する犯罪である」と明快に宣言していたにもかかわらず、違法な強姦が続いていたのです。この20年というもの、私の多くの妹達と娘達が、あらゆる年齢の女達が、想像もできないほど残虐な暴行を受けてきました、そして悪辣で良識を否定する行為が多くの命を奪ってきたのです。
 
女達、娘達は、その体を切り刻まれ、その希望を砕かれるという形で、国内外での武力紛争へのいわれのない代償を支払ったのです。私達が支払った「金」は、血と涙と尊厳でした。

けれども、女性の権利を守る必要性は、ただ戦争という限られた場所に限られるわけではありません。そしてまた、武力紛争や暴力によってのみ、この権利に対する脅威が生まれてくるわけではありません。
 
女性教育は重要な投資ではなく無用な道楽である、などと最近は言われなくなってきましたが、それでもなお、資金と人材は十分ではありません。
女はしばしば、その能力が十分なものであっても、学術追求の場においては失望にかられているのです。

私たちは今日という日を祝福するのと同時に、直面する膨大な課題があることも忘れずにいましょう。
世界中のあまりにも多くの場所で、女性に対する犯罪が報告されずにいます。そしてまた、女性を保護するため法律も発効されずにいます。

この21世紀に、1年間で百万人もの人間、そのほとんどが女や子供ですよ、を商取引するような国があってはなりません。
女や子供が暴力をふるわれたり、暴行を受けたりするような国があってはなりません。
リーダーシップは男にだけ備わっている、なんてことを信じている国があってはならないのです。
 
 

Your Majesties, my sisters and my brothers:
 
The Nobel Committee cannot license us three Laureates to speak for women. But it has provided us a platform from which to speak to women, women around the globe,. whatever their nationality, their color, their religion, or their station in life. It is you, my sisters, and especially those who have seen the devastation that merciless violence can bring, to whom I dedicate my remarks, and this Prize.
 
There is no doubt that the madness that wrought untold destruction in recent years in the Democratic Republic of Congo, in Rwanda, in Sierra Leone, in Sudan, in Somalia, in the former Yugoslavia, and in my own Liberia, found its expression in unprecedented levels of cruelty directed against women.
 
Although international tribunals have correctly declared that rape, used as a weapon of war, is a crime against humanity, rapes in times of lawlessness continue unabated. The number of our sisters and daughters of all ages brutally defiled over the past two decades staggers the imagination, and the number of lives devastated by such evil defies comprehension.
 
Through the mutilation of our bodies and the destruction of our ambitions, women and girls have disproportionately paid the price of domestic and international armed conflict. We have paid in the currencies of blood, of tears, and of dignity.
 
However, the need to defend the rights of women is not limited to the battlefield, and the threats to those rights do not emanate only from armed conflict (violence). Girls’ education, seen far too often as an unnecessary indulgence rather than the key investment it is, is still under-funded and under-staffed. Too often girls are discouraged from pursuing an academic training, no matter how promising they may be.
 
As we celebrate today, we are mindful of the enormous challenges that we still face. In too many parts of the world, crimes against women are still under-reported, and the laws protecting women are under-enforced. In this 21st century, surely there is no place for human trafficking that victimizes almost a million people , mostly girls and women, each year. Surely there is no place for girls and women to be beaten and abused. Surely there is no place for a continuing belief that leadership qualities belong to only one gender.

 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(2) [指導者]


 エレン・ジョンソン・サーリーフ女史の2回目です。
 
 彼女の師、というより同志ですかね、ワンガリ・マータイ女史の言葉を引用していますが、いわく、「特権を持つ人間は次世代のリーダーの範となるべし」。ここで言う特権とは、”priviledge”の訳で、普通は金や権力などの特権のことなんですが、ここでは教育や訓練を受けたことも含まれるようです。ちょっと意外な感覚でした。
 もっと言うと、教育を受けたという恩恵と、強い権力をもった特権、を併せて”priviledge”と言っている感じですね。 
 
 そんなわけで、ここでご自身が述べられているように、サーリ-フ女史は高度な教育を受けたうえに、リベリアの大統領という強大な権力をも併せ持った人間であるわけです。
 さぞやマータイさんのこの言葉は沁みることでありましょう。
 
 サーリーフ女史が何故高等教育を受けられたのか?についてはここでは語られておりませんね。是非調べてみたいものです。確かに流暢な英語で喋られています。
 そういえば、前回の 「エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(1)」を書いた時点あたりで、ノーベルレクチャーのビデオが見られるようになっていました。この映像を見る限り、全く完璧な英語でした(自分との比較では)。
 
 つまり彼女は、イギリスかアメリカで教育を受けた疑いが濃い、ということです。
 
 近年の日本のソーリダイジンという職業の人々の中には、海外大学や大学院(主にアメリカが多いようです)を卒業された経歴をお持ちの方が何人もおられるようですが、どなたもサーリーフ女史ほど流暢にはおしゃべりにはならないようです。 
 
 なぜ?
 
 言うまでもありませんが、命懸けで勉強しておられる方と、ファッションやトレンドで「お留学」されている方との差でありましょう。 
 ついでに申し上げると、レイマー・ゴヴォウェー女史も流暢に英語をしゃべられますね。羨ましい。
 
 ここではまたサーリーフ大統領の信念というか、心構えが聞かれて面白いと思いました。
 曰く、 
 「戦争と略奪によって破壊されかけた国家を建て直す、という極めて大きな責務を負うのと同時に、リベリアの人々に使えるという特別な任務を与えられた時に、私の人生は永遠に変わったのです。」 
 
 ここの 、「リベリアの人々に使えるという特別な任務」、原文では「privilege to serve the people of Liberia」となっていたのをこのように訳しました。つまりは、大統領というのは国民の下僕である、という考えでありましょうか。
  
 私などは、いわゆるこれが民主主義の原点ではないか、と思うわけなのであります。しかしシニカルに考えて、果たしてそれを声高に主張するサーリーフ女史が、ご自身はこの言葉をどこまで守って行けるのでしょうか?
 
 権力の腐敗は世の常でありますから、10年先の未来では何が起こっているのかは想像し難いわけでありまして・・・??? 
 
 ところで”priviledge”は、上のほうでは恩恵あるいは特権という意味で、そしてここでは任務・責務の意味で使われてます。よほどサーリーフ女史のお気に入りの言葉なんでしょうか。
 
 幼年にあっては恩恵として受け、壮年にあっては力として用い、後年にあっては責務として背負う。な~んて。
 
 
 続く 
 
 
========エレン・ジョンソン・サーリーフ講演(2)=======
 
ここで、アフリカ女性として初めてこの栄誉を得た故ワンガリ・マータイの思い出について述べたいと思います。彼女の功績は永遠に私たちを鼓舞し続けるでしょう。
2004年に授賞したマータイ教授はこう言いました。「教育や訓練やそして経験、ましてや権力を得ることのできる特権をもった人間は、次の世代のリーダーシップの範とならねばならない!」と。私たちは多分、この責任を果たせているのでしょう。
 
私はまた、数えきれないほど多くの女達も称えたいと思います。彼女達の努力や犠牲は決して知られることはありません。しかし、その一人ひとりの無言の戦いが私たちの世界を形作ることにつながっているのです。

レイマーやタワクルも思っていますが、この賞は多くの人々にこそ相応しいのであり、私たちはその切望を代弁しその権利を守る義務があるのです。私たちは彼らの影にすぎないのです。
この認識は大きな責任につながります。歴史は、今私たちがここで話したについてではなく、私たちが次に自国の人々の生活をどれほど良くするかによって、私たちを判定するのです。

タワクル、あなたは平和と女性の権利についての神秘的な活動家です。あなたの国では独裁的なルールが横行しています。しかし人々の声なき声を聞く方法をあなたは見出したのです。
 
レイマー、あなたは平和の作り手です。あなたはリベリアの女達を動員して自国に戻らせる勇気がありました。あなたは野蛮な市民紛争の「前線」を作り変えたのです―女達は白い服をまとい道で訴えました―この障壁を超える勇気をもった戦争指導者はいませんでした。

私のは長い旅でした―オスロへの生涯を掛けた旅です。それは、リベリア生まれで読み書きもできず、農業と商売をしていた私の両親とそして二人の祖母によって方向づけられたものでした。彼らは私にこう教えました、他者に尽くすことによって人生は真に讃えられるのだと。

私の旅は、私を高度な教育を通じて開かれた社会へと導いてくれた、多くの教官と指導者に支えられたものでした。そしてそれが、すぐれた教育を受けることは私たちにとっての正義である、という私の信念につながったのです。

私の人生は、数千人の人々が結集して私の収監から救ったり、あるいは、私を捕縛する側の人間の個人的な行動によって私を救ったりしたことで守られてきました。

私の人生は、戦争と略奪によって破壊されかけた国家を建て直すという極めて大きな責任とともに、リベリアの人々に使えるという特別な任務を与えられたときに、永遠に変わったのです。紛争の後の復興にはロードマップなどありませんでした。しかし私たちには、私たちの国を過去に戻すことはできないということが分かっていました。私たちは、平和を守ることこそが、最も大事な果たすべき責任であるということを知ったのです。
  

Accepting the award in December 2004, Professor Maathai said, “Those of us who have been privileged to receive education, skills, and experiences and even power must be role models for the next generation of leadership!” May we all resolve to fulfill that duty!
I also honor the memory of countless women whose efforts and sacrifice will never be recognized, and  who, in their private and silent struggles, helped to shape our world.
As Leymah and Tawakkul know, this award belongs to the people whose aspirations we have the privilege to represent, and whose rights we have the obligation to defend. We are but their reflection.
 
With such a distinction comes great responsibility. History will judge us not by what we say in this moment in time, but by what we do next to lift the lives of our countrymen and women. It will judge us by the legacy we leave behind for generations to come.
Tawakkul, you are an inspirational leader and activist for peace and women’s rights. In your country, autocratic rule prevails; but where they had no voice, you found a way to be heard.
Leymah, you are a peacemaker. You had the courage to mobilize the women of Liberia to take back their country. You redefined the “front line” of a brutal civil conflict – women dressed in white, demonstrating in the streets – a barrier no warlord was brave enough to cross.
Mine has been a long journey, a lifetime journey to Oslo. It was shaped by the values of my parents and by my two grandmothers – indigenous Liberians, farmers and market traders – neither of whom could read or write. They taught me that only through service(serving others) is one’s life truly blessed. f our time.
 
My life was safeguarded when thousands mobilized around the world to free me from imprisonment, and my life was spared by individual acts of compassion by some of my captors.
My life was forever transformed when I was given the privilege to serve the people of Liberia – taking on the awesome responsibility of rebuilding a nation nearly destroyed by war and plunder. There was no roadmap for post-conflict transformation. But we knew that we could not let our country slip back into the past. We understood that our greatest responsibility was to keep the peace.

My journey was supported by my many teachers and mentors who guided me to a world opened up by the enlightenment of higher education, and which led to my conviction that access to quality education is the social justice issue o

 

2011 エレン・ジョンソン・サーリーフ講演を読む(1) [指導者]


ながらくお休みしておりましたが、ノーベル賞シーズンの到来(終了?)に伴い再開いたします。
 
元来、昨年の12月から再開しようとしていたのですが、せっかくなのでノーベル.orgのHPでレクチャービデオを見てからにしようと思いました。
ところが、「まもなくご覧いただけます」とは書いてあるものの、なかなかこれが見られない。
いったいノーベル委員会は何をやっているのか?
どこからか圧力がかかったのか??
日本のメディアじゃあるまいに???
 
そう思っておりましたところ、ついに年が明けてしまいました。
しかし、ぼちぼちと訳も進んできたので、再開することにしようといういうわけです。
  
さて、この年のノーベル平和賞は本稿のエレン・ジョンソン・サーリーフ氏、レーマー・ゴヴォウェ氏、タワクル・カルマン氏という3名の女性が受賞されました。
 
エレン・ジョンソン・サーリーフ氏はリベリアの大統領、レーマー・ゴヴォウェ氏はリベリアの平和運動の主導者で、いわばサーリーフ氏の弟子、ではなくてシスターでしょうか・・・。
 
そしてタワクル・カルマン氏はイエメンの活動家でアラブの春の主導者。
 
そういったお三方です。

サーリーフ氏とゴヴォウェ氏はともにリベリア出身のアフリカ人女性でありまして、サーリーフ氏がここで述べられているように、以前本稿で取り上げたワンガリ・マータイ女史のいわば信奉者でもあるようです。
 
そういえば昨年、ワンガリ・マータイさんが亡くなられましたねえ。惜しい人を亡くしました。
けれども、アフリカ平和運動の襷はマータイ氏からこのお二人へと引き継がれた、ということになりましょう。 
グリーンベルト運動も頑張ってほしいものです。 
 
いずれにしても、しばらくの間、当代を代表する女性達の主張に耳を傾けることとなります・・・  

 
 
--------------エレン・ジョンソン・サーリーフ講演------------------- 
 
 国王陛下、閣下、各国大使、ノルウェーノーベル賞委員会の皆さん、兄弟たちへ。

全てのリベリアの女性、アフリカの女性、そして世界のいたるところで平和と正義と平等のために戦う女性の代理として、私は2011年のノーベル平和賞を大いなる謹みを持って受けることにします。

私はとりわけ、この舞台に立った何名かの男と一人の女の後継者となれたことを誇りに思います。それは、アルバート・ジョン・ルトゥーリ、デスモンド・トゥトゥ、ネルソンマンデラとデクラーク、コフィ・アナン、ワンガリ・マータイ、モハメド・エルバラダイ、といった人々であります。
ついでに、バラク・オバマ、マルティン・ルーサー・キングJr、そしてラルフ・バンチというアフリカ系アメリカ人達もいましたっけ。
  
国王陛下、私はまず陛下へのメッセージから始めます。これは陛下を通じてノルウェー国民へ伝わるでしょう。
この国は今年の初め、77名が殺されるという悲劇に直面しました。それはまさしく、この国の精神に対する憂慮すべき攻撃でありました。しかし、そのような不幸な出来事に直面しても、開放性と誠実さと正義の価値を伝統的に信奉するノルウェーの各市民層あるいは個人の反応には揺るぎがありませんでした。このことで世界は、あなたとこの偉大な国の市民に敬服したのです。私はあなたに亡くなった方々に対するリベリア国民からの深いお悔やみを申し上げるとともに、大いなる敬意を表します。

今年の平和賞において、ノーベル委員会はこの場に、変化を標榜し内戦によって引き裂かれた社会において法と民主主義という規範を推し進めてきた、という点で共通する3人の女性を迎えました。そして事実、私たち―リベリアからの二人の女は―イエメンの妹と共にこの舞台を分かち合い、私たちの闘争の持つ普遍性を訴えるのです。

性と地の境界を超越した偉大な女達の不屈の精神は、私たちと今ここにあります。1899年にハーグ平和会議を主催したことにより栄誉を得たオーストリアのバローネ・ベルタ・フィリエンタス・フォン・ズットナーやハルハウスのジェーン・アダムス。アメリカの活動家エミリー・グリーン・バルチ、北アイルランドのベティ・ウイリアムスとメイリード・コリガン。マザー・テレサと英雄アウンサンスーチ。リゴベルタ・メンチュー、ジョディ・ウイリアムス、シリン・エバディそしてワンガリ・マータイ。これら私たちの先駆者、ノーベル平和賞受賞者達は、私たちの絶えることのない平和追求努力を、さらに倍増せよと訴えているのです。

ここで、アフリカ女性として初めてこの栄誉を得た故ワンガリ・マータイの思い出について述べたいと思います。彼女の功績は永遠に私たちを鼓舞し続けるでしょう。
2004年に授賞したマータイ女史はこう言いました。「教育や訓練やそして経験、ましてや権力を得ることのできる特権をもった人間は、次の世代のリーダーシップの範とならねばならないのだ!」と。私たちは多分、この責任を果たせているのでしょう。
私はまた、数えきれないほど多くの女達も称えたいと思います。彼女達の努力や犠牲は決して知られることはありません。しかし、その一人ひとりの無言の戦いが私たちの世界を形作ることにつながっているのです。


続く
 

A Voice for Freedom!
 
Your Majesties, Royal Highnesses, Excellencies, Members of the Norwegian Nobel Committee, Nobel Laureates, my brothers and sisters:
On behalf of all the women of Liberia, the women of Africa, and women everywhere in the world who have struggled for peace, justice and equality, I accept with great humility the 2011 Nobel Prize for Peace.
 
I am particularly honored to be a successor to the several sons and one daughter of Africa who have stood on this stage – Chief Albert John Lutuli, Archbishop Desmond Tutu, Nelson Mandela and F.W. de Klerk, Kofi Annan, Anwar el-Sadat, Wangari Muta Maathai, Mohamed ElBaradei, as well as Barack Obama, Martin Luther King, Jr. and Ralph Bunche, Americans of African descent.
 
Your Majesties: I begin with a message to you and, through you, to the people of Norway. Your country faced a tragedy earlier this year with the murder of 77 people. It was a deliberate assault on the very heart of your society. Yet, in the face of such adversity, the response at every level of public and private Norwegian life has been consistent with your historic adherence to the values of openness, integrity and justice. For this, the world admires you and all of the citizens of this great country. I offer you the deepest sympathy of the people of Liberia for the loss of life and I extend to you our profound respect.
 
In its selection this year, the Nobel Committee has brought here three women linked by their commitment to change, and by their efforts to promote the rule of law and democracy in societies riven by conflict. The fact that we – two women from Liberia – are here today to share the stage with a sister from Yemen speaks to the universality of our struggle.
 
The enduring spirit of the great women whose work transcended gender and geographical boundaries is in this room with us. From Baroness Bertha Felicie Sophie von Suttner of Austria, honored for promoting the Hague Peace Conference of 1899, to Jane Addams of Hull House fame; from the American activist Emily Greene Balch to Betty Williams and Mairead Corrigan of Northern Ireland; from Mother Teresa to the heroic Aung San Suu Kyi, as well asRigoberta Menchu, Jody Williams, Shirin Ebadi, and Wangari Maathai: these our forebears, these women who are Nobel Peace Laureates, challenge us to redouble our efforts in the relentless pursuit of peace.
 
I would like to take a moment to honor the memory of the late Wangari Maathai, the first African woman to receive this great honor. Her accomplishments will forever inspire us.
Accepting the award in December 2004, Professor Maathai said, “Those of us who have been privileged to receive education, skills, and experiences and even power must be role models for the next generation of leadership!” May we all resolve to fulfill that duty!


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